Title:『真なるダルマはカルマではない』
1973年11月14日、インド、ニューデリーで行われた法話です。
ŚB 1.2.9
धर्मस्य ह्यापवर्ग्यस्य नार्थोऽर्थायोपकल्पते ।
नार्थस्य धर्मैकान्तस्य कामो लाभाय हि स्मृत: ॥ ९ ॥
dharmasya hy āpavargyasya
nārtho ’rthāyopakalpate
nārthasya dharmaikāntasya
kāmo lābhāya hi smṛtaḥ
職業上の仕事はどれも究極的な解放のためのものであることは確かであり、物質的なものを獲得するために行ってはならない。さらに、最高の奉仕に従事している者は、獲得した物質的な利益を自らの感覚を満たすために使ってはならない、と賢者は言う。
ŚB 1.2.10
कामस्य नेन्द्रियप्रीतिर्लाभो जीवेत यावता ।
जीवस्य तत्त्वजिज्ञासा नार्थो यश्चेह कर्मभि: ॥ १० ॥
kāmasya nendriya-prītir
lābho jīveta yāvatā
jīvasya tattva-jijñāsā
nārtho yaś ceha karmabhiḥ
人生の願望を決して感覚満足に向けてはならない。人間とは絶対真理について問うためのものであるから、健全な生活、すなわち自己の維持だけを望むべきである。他のいかなるものも、仕事の目的にしてはならない。
ーー 法話の内容の一部から ーー
カルマとは自分の感覚を満足させること、そしてバクティというのは主に満足していただくことです。行為は同じです。ですから人々はカルミーとバクターの違いがわからないのです。カルミーというのは自分の感覚を満たすこと、バクターというのはクリシュナの感覚を満たしてさしあげることです。感覚を満たすという行為は存在するのですが、クリシュナに満足していただく、これがバクティです。
バクティとは行動を止めなさいという意味ではありません。バクティというのは、自分の持つ全ての感覚を感覚を与えてくださった方、その方の感覚を満たすために使うということです。これをバクティと呼びます。