Title:『クリシュナへの奉仕は誰にでもできる』
1972年10月20日、インド、ブリンダーヴィンで行われた法話です。
ŚB 1.2.9
धर्मस्य ह्यापवर्ग्यस्य नार्थोऽर्थायोपकल्पते ।
नार्थस्य धर्मैकान्तस्य कामो लाभाय हि स्मृत: ॥ ९ ॥
dharmasya hy āpavargyasya
nārtho ’rthāyopakalpate
nārthasya dharmaikāntasya
kāmo lābhāya hi smṛtaḥ
職業上の仕事はどれも究極的な解放のためのものであることは確かであり、物質的なものを獲得するために行ってはならない。さらに、最高の奉仕に従事している者は、獲得した物質的な利益を自らの感覚を満たすために使ってはならない、と賢者は言う。
ーーー 法話の内容から ーーー
人々は私たちのことをこういうふうに言います。クリシュナ意識運動をやっている人々、この人たちは逃避しているのだ。彼らは働きたくないから逃げているのだ。そのようにいう人がいます。社会に頼って、他の人が働いたお金で食べているのだという人がたくさんいます。実際にはそれは本当のことではありません。クリシュナは全ての人に食べ物を与えています。840万種類の生命体がいて、神の保護で食べています。それなのに、なぜ人間は経済問題を解決するためにこんなに必死にならないといけないのでしょうか?それは文明が愚かだからです。すべてはもうあるのです。いくらか働けばいいのです。この物質界というのはいくらか働かなければ食べていけないのです。食べ物を得られないのです。そのように造られているのです。