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Title:『神に何を求めるか

1972年9月7日、インド、ニューブリンダーヴィンで行われた法話です。



ŚB 1.2.9

धर्मस्य ह्यापवर्ग्यस्य नार्थोऽर्थायोपकल्पते ।

नार्थस्य धर्मैकान्तस्य कामो लाभाय हि स्मृत: ॥ ९ ॥

dharmasya hy āpavargyasya

nārtho ’rthāyopakalpate

nārthasya dharmaikāntasya

kāmo lābhāya hi smṛtaḥ

職業上の仕事はどれも究極的な解放のためのものであることは確かであり、物質的なものを獲得するために行ってはならない。さらに、最高の奉仕に従事している者は、獲得した物質的な利益を自らの感覚を満たすために使ってはならない、と賢者は言う。







ー 法話の内容から ーー



この権威ある知識の中では、たとえば、バガヴァッド・ギーターがそうですが、来世というのは受け入れられています。バガヴァッド・ギーターの最初、冒頭から、魂は永遠であると書かれています。魂は永遠であって、次から次へと移っていくと。ですから、来世はあるんだというふうに書かれています。これが権威ある知識です。誰かがもし、生まれる、誕生なんてないんだと言ったとするならば、そのことは権威ずけられていません。それは俗人の言っていることです。俗人はなんでも好きなように何でも言えるのです。その結果はどこにあるでしょうか?結論というのは権威ある権威者から権威ある知識を受け入れる。権威者は普通の人のような4つの欠陥を持たない人。(BG16-24)



間違いを犯さない人。

幻想に犯されない人。

決して騙すことがない人。

感覚が完璧な人。



私たちはこういう質をもっていません。そんな私達がどうやって完璧な知識を作り出すことができるでしょうか?そんなことは不可能です。ですから私達の原則、すなわち、ヴェーダの原則とうのは完璧な方から知識を得るということです。