Title:『クリシュナに会いたいと切望せよ』
1972年8月5日、ロスサンゼルスで行われた法話です。
ŚB 1.2.12
तच्छ्रद्दधाना मुनयो ज्ञानवैराग्ययुक्तया ।
पश्यन्त्यात्मनि चात्मानं भक्त्या श्रुतगृहीतया ॥ १२ ॥
tac chraddadhānā munayo
jñāna-vairāgya-yuktayā
paśyanty ātmani cātmānaṁ
bhaktyā śruta-gṛhītayā
知識と放棄を備えて誠実に質問する学徒や聖者たちは、ヴェーダーンタ・シュルティから学んだとおりに献身奉仕をすることにより、絶対真理を理解する。
ーー 法話から ーー
神を見たことがありますか?
こういった質問に時々遭遇します。
答えはこうです。はい、見ることができますよ、誰でも見ることができます。私も神を見ています。
しかし、そこには資格が必要です。
例えば、こういったものです。
神はいます。と同じように、車があります。
車のどこかが調子悪い、誰もがその車を見ているんですけれども、しかし、エンジニア、修理工の人、そういう人はまた見るところが違います。ですから、私たちはその車を修理工の所に持っていかなければなりません。ちゃんと走らないんですけれど、どこか悪いんでしょうか?そうすると、修理工の人はどこか、その部品をみて、部品をどこか触って、普通に動くようになります。
でも、悪質な人はそのことがわかっていません。ですから、悪質な人は自分には資格がないのに、どうしたら神が見れるかと言います。
車がどっか調子わるい、エンジニアの人の見方と私の見方と同じではありません。修理工の人は見る資格を持っています。ですから、何かがおかしくなったら、すぐにどこかのパートを触ります。車をみるのにもそんな資格が必要なのですから、
神を見るにはそれなりの資格が必要だということです。