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Title:『豚や犬を越える課題

1972年10月23日、インド、ブリンダーヴィンで行われた法話です。



ŚB 1.2.12

तच्छ्रद्दधाना मुनयो ज्ञानवैराग्ययुक्तया ।

पश्यन्त्यात्मनि चात्मानं भक्त्या श्रुतगृहीतया ॥ १२ ॥

tac chraddadhānā munayo

jñāna-vairāgya-yuktayā

paśyanty ātmani cātmānaṁ

bhaktyā śruta-gṛhītayā

知識と放棄を備えて誠実に質問する学徒や聖者たちは、ヴェーダーンタ・シュルティから学んだとおりに献身奉仕をすることにより、絶対真理を理解する。









ーー 法話から ーー





物質的な教育というのはただ単にマーヤの富を増やしているに過ぎない。



例えば、わたしは暗闇の中にいる。その暗闇がどんどん広がってもっと暗闇がおおきくなっているのを進歩とか、進化とか呼ぶでしょうか?

暗闇の中に必要なのは明かりです。その暗闇の中に明かりがあれば、それは進歩した状況になってきていると言えます。いわゆる名前ばかりの物質的な教育というものがどんどん大きくなっていく、そのことはただ単に人々にもっともっとこの物質世界に引きつけるだけ、それを進化と呼んでしまっています。人生の価値はいったいなんであろうかという、この知識を取り入れることです。そして、実際に、その知識の段階に到達することができたならばその人は物質世界から執着をなくしていかなければなりません。それが必要です。



しかし、実際にどうなってるか、実際は人生の価値、知識、それがなくて、人々はどんどんと物質世界に執着を強めてしまっています。だから、クリシュナはおっしゃっているのです。いわゆる教育、進歩というもの、それは、マーヤ、幻想エネルギーがこの知識の本当の目的というものを覆い隠しています。ただ、無駄にしています。



ロサンゼルスの大学から、たくさんの科学者とか、心理学者とか、いろんな学者さんたちがきました。そこで私たちは話したんですが、私はこのように言いました。この今の教育の進歩と言われるものが人々を低級な人類にしていると言いました。学生たちはそのことを受け入れました。中にはとても真剣な学徒たちもいたからです。

この教育というものは、人が物質的な教育がつけばつくほど、興味を失っています。