Title: 『車はフォード、でもフォードは車じゃない』
1975年2月21日、ベネズエラのカラカスで行われた法話です。
ŚB 1.1.1
ॐ नमो भगवते वासुदेवाय
जन्माद्यस्य यतोऽन्वयादितरतश्चार्थेष्वभिज्ञ: स्वराट्
तेने ब्रह्म हृदा य आदिकवये मुह्यन्ति यत्सूरय: ।
तेजोवारिमृदां यथा विनिमयो यत्र त्रिसर्गोऽमृषा
धाम्ना स्वेन सदा निरस्तकुहकं सत्यं परं धीमहि ॥ १ ॥
oṁ namo bhagavate vāsudevāya
janmādy asya yato ’nvayād itarataś cārtheṣv abhijñaḥ svarāṭ
tene brahma hṛdā ya ādi-kavaye muhyanti yat sūrayaḥ
tejo-vāri-mṛdāṁ yathā vinimayo yatra tri-sargo ’mṛṣā
dhāmnā svena sadā nirasta-kuhakaṁ satyaṁ paraṁ dhīmahi
我が主よ、ヴァスデーヴァの息子シュリー・クリシュナよ、あまねく満ちわたる人格神よ、あなたに尊敬の礼をささげます。そしてあなたを瞑想いたします。なぜなら、主シュリー・クリシュナは絶対真理であり、現れた宇宙の創造、維持、破壊のあらゆる原因の元となる原因だからです。主は現れている一切万物を直接的にも関節的にも認識しておられ、また主を越える原因など存在しないため自主独立なさっています。主は、原初の生命体であるブラフマージーのハートの中に最初にヴェーダ知識を授けた唯一のお方です。幻想に惑わされて火中に水が見えたり水上に陸地が見えたりするように、偉大な聖者や神々でさえ主によって幻想の中に陥れられます。物質宇宙は現実ではないにもかかわらず、自然の三様式の反動によって一時的に現われて現実のように思わせます。これは主の原因に他なりません。ゆえに私は、物質世界に現れる幻想とは永遠に無縁な超越的住居から決して離れることのない主シュリー・クリシュナを瞑想いたします。主は絶対真理でいらっしゃるがゆえに、私は主を瞑想いたします。