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Title:『クリシュナは全能なり

1966年、夏、ニューヨークで行われた法話です。



ŚB 1.2.17

श‍ृण्वतां स्वकथा: कृष्ण: पुण्यश्रवणकीर्तन: ।

हृद्यन्त:स्थो ह्यभद्राणि विधुनोति सुहृत्सताम् ॥ १७ ॥

śṛṇvatāṁ sva-kathāḥ kṛṣṇaḥ

puṇya-śravaṇa-kīrtanaḥ

hṛdy antaḥ stho hy abhadrāṇi

vidhunoti suhṛt satām

人格神シュリー・クリシュナは誰ものハートに宿り、誠実な献身者に恩恵を授けてくださる至高の魂である。主の教えを聴きたいという思いに駆り立てられた献身者のハートから、物質的な喜びに対する欲望を洗い流してくださる。その教えは、正しく聴き唱える者の中には徳高く備わっている。



ーー 法話から ーー



人が精神的な段階になると、何かを追い求めたり、何かを嘆いたりとすることがなくなります。

失ったものを嘆いたり、また、何かを得たいと追い求めたりすることがなくなります。この物質世界では、この二つのこと、失くしたものを嘆く事、そして、何かを欲して追い求めること、、この二つの事がずっと行われています。わたしたちは持っていないものを追い求めます。これが手に入ったら、きっと幸せになるのにと。お金は今はないけど、でももし、100万円入ったら、そうしたら、私は幸せになれるんだ、と思います。そして、その100万円、一億円が手に入って、それを失くしたとしたら、嘆きます。

brahma-bhūtaḥ,の段階に行けば、嘆いたり、落ち込んだりすることはなくなります。平安でいることができます。たとえ、いかなる困難な状況であろうとも、決して心が乱れることがありません。そういった状況でいられるのです。



私たちが精神的な概念を培っていくならば、そうすれば何が本当の立場なのか、精神的な、超越的な人生において、どういう立場なのか、ということが理解できます。

もし、わたしたちがそのように行動できるとするならば、つまり、わたしはこの体ではない、私は意識なんだ、そのことは事実ですが、もし、わたしが、そういった意識の段階で、行動できるとするならば、そうすれば、行動による、良い結果、あるいは、悪い結果といような、結果というものを克服できます。これが超越的な段階です。至高の段階で行動しなさいということです。失ったものを嘆いたり、欲しいものを追い求める、そのように行動しないということ。もしか、何か手に入れたとしても、それで思い上がってはいけない、その得たものは神のものであると考えること。もし、なにか、失ったとしても、それは自分の責任ではないと、それは、神がそうなさったのだと、そのように考えること。そうすれば、みなさんは幸せになります。これを私たちは実践しなければならない。すべてが至高主によってなされている事です。この超越的な質、超越的な事、これをわたしたちは培わなければならない。これが今の現状で、わたしたちが活動しているトリックです。肉体意識の段階で行動している限り、私たちはこの自分の活動の自分のした行為の反動というものに縛られてしまいます。精神的な意識で活動すれば、経験なものにも、不経験なものにも縛られることはありません。