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Title:『クリシュナの栄光に耳を傾け、浄化されなさい

1974年9月26日、インド、カルカッタで行われた法話です。



ŚB 1.2.18

नष्टप्रायेष्वभद्रेषु नित्यं भागवतसेवया ।

भगवत्युत्तमश्लोके भक्तिर्भवति नैष्ठिकी ॥ १८ ॥

naṣṭa-prāyeṣv abhadreṣu

nityaṁ bhāgavata-sevayā

bhagavaty uttama-śloke

bhaktir bhavati naiṣṭhikī

バーガヴァタムの法話に定期的に集い純粋な献身者に仕えることによって、ハートをわずらわせるありとあらゆる事がほぼ完全に破壊され、超越的な詩歌で称えられる人格神への愛情奉仕が不動の事実として確立される。



ーー 法話から ーー



このようにバガヴァッド・ギーターで言われています。

クリシュナに身を委ねようと、そうすれば、私の人生は完成に達することができる。クリシュナに身を委ね、同意するならば、そのように決定するならば、それはŚraddhāです。



この神もいいし、あの神もいいし、みんな、あなたも神で私も神で、こういう考え方、これはŚraddhāではありません。

例えば、貞淑な女性は、どの男性も皆良いとは言いません。貞淑な女性は言います。わたしの主人だけが良い人ですと。これが貞淑さというものです。中には、どの男性でもいいという人がいるかもしれません。それは貞淑さではありません。同時にŚraddhāというのは貞淑になること、純粋なクリシュナバクティーになること、これが、Śraddhāです。

ここで、みなさんは見ていただけると思います。ここにアメリカ人の、あるいは、ヨーロッパ人の青年たち、彼らはŚraddhāで始めました。私は彼らに言いました。クリシュナこそが至高人格神であると、そして、その青年たちは、その事を受け入れました。若い青年たちはこのようには言いませんでした。あそこにも神がいるし、ここにも神がいるし、あれもこれも神だ、そのようなことは言いませんでした。彼らは自分たちの信念を持ちました。この信念をもったということは、それは彼らの幸運です。彼らはなんでもごちゃまぜにしたような、そういう考え方をしていませんでした。ですから、彼らはそれなりの成果を上げられたわけです。