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Title:『クリシュナを選ぶか、マーヤを選ぶか

1972年8月21日、ロサンゼルスで行われた法話です。



ŚB 1.2.18

नष्टप्रायेष्वभद्रेषु नित्यं भागवतसेवया ।

भगवत्युत्तमश्लोके भक्तिर्भवति नैष्ठिकी ॥ १८ ॥

naṣṭa-prāyeṣv abhadreṣu

nityaṁ bhāgavata-sevayā

bhagavaty uttama-śloke

bhaktir bhavati naiṣṭhikī

バーガヴァタムの法話に定期的に集い純粋な献身者に仕えることによって、ハートをわずらわせるありとあらゆる事がほぼ完全に破壊され、超越的な詩歌で称えられる人格神への愛情奉仕が不動の事実として確立される。



ーー 法話から ーー



毎日、バガーヴァタムを崇拝することによって、私たちはこうした汚れたものから解放されることになります。これは前の節で読んだところです。私たちはたくさんの不吉なものをハートの中に取り込んできました。ですから、シュリマード・バーガヴァタム, 或いは、バガヴァッド・ギーター、或いは、献身者の口からクリシュナのメッセージを聴く、ただそれだけで清められていきます。そのようにして、ほとんどの汚れたものがなくなります。きれいになります。でもすべてではありません。ほとんどの汚れたものが浄化された時点でわたしたちは解放されます。そして、直ちに、神への愛を得ることができます。これが元々、持っていた意識です。チャイタニヤマハープラブのように気が狂ったようになるでしょう。ゴーヴィンダと惜別の情を感じます。どのように? 一瞬が12年のように感じられる。



私たちにも時々、経験があります。わたしたちがみたいと思っているもの、それを期待する心理学、そのような名前がついています。誰か、友達とか、恋人とかが来ることになっている、それを期待して待っている、そういう状況で、もし誰かがドアのところでコツっと音がすると、あ、来たの?あ、ちがうちがう、まだ来ていない、こういうふうに、一瞬が12年のように感じられます。そのような惜別の情をクリシュナに対してわたしたちが感じられるようになったとき、全ての汚れたものがなくなってしまったという意味です。