Title:『アートマに満足はなし』
1972年10月30日、ブリンダーヴァンで行われた法話です。
ŚB 1.2.19
तदा रजस्तमोभावा: कामलोभादयश्च ये ।
चेत एतैरनाविद्धं स्थितं सत्त्वे प्रसीदति ॥ १९ ॥
tadā rajas-tamo-bhāvāḥ
kāma-lobhādayaś ca ye
ceta etair anāviddhaṁ
sthitaṁ sattve prasīdati
不滅な愛情奉仕がハートの中に確立されたとたん、情欲、欲望、渇望といった激情と無知の自然様式の影響がハートの中から消えていく。すると献身者は徳性の者となり、完全に幸福になるのだ。
ーー 法話から ーー
私たちは自分たちの心を穏やかにしなければなりません。ですから、誰もがこの時代において、高い段階にいる物質的な人々、発達されたといわれる、物質的な人々さえも、みんな平和を求めています。心の自分のātmāの平穏さ、穏やかさといったものを求めています。例として、西洋諸国からの若い人たち、かれらは、もともと、恵まれた家庭から、とても恵まれた国からやって来ているわけですけど、彼らはお父さん、おじいさん、によってつくられた、、そういったスタンダードの生活、状態、そういったものを捨ててきました。彼らはそういったものが気に入らなかったのです。というのは、彼らは満足していなかったからです。ātmāが満足していませんでした。だから、そこをやめて来ました。bhogaとうのは、楽しみという意味です。そして、tyāgaというのは放棄という意味です。実際のところ、この世界では、とても忙しくして、物質的に楽しむために、とても忙しくしているkarmīsと言われる人たちがいます。また、tyāga、放棄に従事している人もいます。この2種類の活動が行われています。楽しむために感覚を満たすために感覚を楽しませるもの、そいうものを手に入れようとして、とても忙しくしている人たち、そういったことに満足できなかったとき、楽しむことができなかった時、満足できなかった時に彼らは言います。この世界は偽物だ、この世界なんか必要ない。
ぶどうは酸っぱいに違いない、同じ話、ジャッカルとぶどうの話と同じことです。ジャッカルはぶどうが食べたくて飛びつこうと何度も何度も飛び上がりました。ですが、ぶどうのところにはとどきませんでした。そこで、食べれなかったジャッカルはこういうわけです。ぶどうなんか必要ないさ、あれは酸っぱいにちがいない。そういう言葉で自分を満たしました。brahma satyaṁ jagan mithyā というのはそのようなものです。それと同じで、この世界に疲れてしまった、そう言った人たちは、例えば、年をとったからとか、また、いろんな条件のために、楽しめなかったとか、そういったときにそういう人たちは言います。