Title:『精神的な生活は科学なり』
1972年8月23日、ロサンゼルスで行われた法話です。
ŚB 1.2.20
एवं प्रसन्नमनसो भगवद्भक्तियोगत: ।
भगवत्तत्त्वविज्ञानं मुक्तसङ्गस्य जायते ॥ २० ॥
evaṁ prasanna-manaso
bhagavad-bhakti-yogataḥ
bhagavat-tattva-vijñānaṁ
mukta-saṅgasya jāyate
このように純粋な徳の様式に落ち着き、主への献身的な奉仕に触れて精神が活性化された人は、あらゆる物質的なものとの関りから解放された状態で、明確かつ科学的な至高人格神の知識を獲得する。
ーー 法話から ーー
なぜ人間が、文明人と言われる人間が4つの事のために必死にならなければならないのでしょうか?私たちは動物よりもさらに知性を持っています。私たちは動物よりも存在のためにもっと快適にいられるはずです。しかし、実際には人間が存在のために苦しむことは、動物が存在にために苦しんでいることよりも、もっと大きい、存在のためにもっと苦しんでいます。どうして、これを文化、文明と呼ぶんでしょうか?これは、文明ではありません。誰もが平和を、穏やかな日々を求めています。大きなビジネスをして、大変なお仕事をして、とても忙しく働き回っている人でも、週末になればどこかで、ひっそりとしたところで、どっか、くつろげる場所でなにも問題なしに、静かに、穏やかに居たいと、だれもがそう望みます。これは自然なことです。人間の人生というのはそのようでなければいけません。どうして、食べて、寝て、性を営むために、こんなに必死にならなくてはならないのだ、とそのように考えることが自然な事です。人間として自然なことです。これは間違った文明といっていることです。しかし、近代では人間の社会というのは、そのようになってしまっています。ただ、この4つの生きていくための4つの事、ただ、それを満たすことのために、昼も夜も、まるでロバのように必死になっています。そのように人間社会はつくられてしまっています。そして、その4つの事さえも、保証はされていません。 私はインドにいて、そして、皆さんの国に行きました。その時にわたしはみなさんの国に来るときに考えていました。アメリカという国はとても恵まれた、富んだ国であると、そして、そこに行けば食べる事も寝ることも、性を営むも、何の問題もないと、わたしはそのように考えていました。しかし、実際には問題だらけです。人々の文明が休む所を失くして、人々は公園で横たわり、道端で寝ています。どうしてでしょうか?