Title:『邪悪な者のすること』
1972年11月13日、インド、ヴリンダーヴァンで行われた法話です。
ŚB 1.2.34
भावयत्येष सत्त्वेन लोकान् वै लोकभावन: ।
लीलावतारानुरतो देवतिर्यङ्नरादिषु ॥ ३४ ॥
bhāvayaty eṣa sattvena
lokān vai loka-bhāvanaḥ
līlāvatārānurato
deva-tiryaṅ-narādiṣu
このように宇宙の主は神々、人間、下等動物などが住むあらゆる惑星を維持しておられる。主は化身の役割を果たしながら、純粋な徳の様式の中にいる生命体を呼び戻すため、遊戯を繰り広げていらっしゃるのだ。
ーーー法話からーーー
私たちの行動しだいです。今、この瞬間もそうです。誰もが物質自然の資源を自分のために利用することに奔走しています。これが文明発展、進歩なのです。文明発展とは、いかに物質自然を食い物にするかということです。しかし、人々はわかっていません。おろかな人々はこのことが発展ということではないことがわかっていません。これはただ、もつれているだけです。これは発展ではありません。この知識が欠けているのです。人々はいったい発展というのはどういうものなのか、ということがわかっていません。発展とは精神的な生活を向上させること、それが発展です。私たちは魂です。精神的な魂というのが私たちの本質です。私たちはこの体の中に閉じ込められてきました。ですから、この生死の繰り返しという、そういったものから抜け出すこと、それが発展であり、進歩なのです。
それどころか、誕生というものが繰り返されるということ自体わかっていません。この生死の繰り返しを克服することこそ、なすべきことだということを現時点では人々はわかっていません。この生死の繰り返しはもうやめるのだ、やめることはできるのだということが人々はわかっていません。人生は終わりません。この体が終わったからといって、人生は終わったわけではありませんん。体が終わったらといって、あなた自身が終わったしまったというのではないのです。世界中さがしてもこの知識にお目にかかることはできません。