Title:『不必要なもの』
1969年6月16日、New Vrindavanで行われた法話です。
ŚB 1.5.12
नैष्कर्म्यमप्यच्युतभाववर्जितं
न शोभते ज्ञानमलं निरञ्जनम् ।
कुत: पुन: शश्वदभद्रमीश्वरे
न चार्पितं कर्म यदप्यकारणम् ॥ १२ ॥
naiṣkarmyam apy acyuta-bhāva-varjitaṁ
na śobhate jñānam alaṁ nirañjanam
kutaḥ punaḥ śaśvad abhadram īśvare
na cārpitaṁ karma yad apy akāraṇam
自己の悟りに関する知識はたとえ物質的なものとの関連性が皆無であったとしても、絶対的な存在(神)という概念がなければ良いとは思えません。ならば、最初から苦痛を伴い一時的でしかない果報的な活動など、神へ献身的に仕えるために活用されないなら、いったい何のためにあるのでしょうか?
अथो महाभाग भवानमोघदृक्
शुचिश्रवा: सत्यरतो धृतव्रत: ।
उरुक्रमस्याखिलबन्धमुक्तये
समाधिनानुस्मर तद्विचेष्टितम् ॥ १३ ॥
atho mahā-bhāga bhavān amogha-dṛk
śuci-śravāḥ satya-rato dhṛta-vrataḥ
urukramasyākhila-bandha-muktaye
samādhinānusmara tad-viceṣṭitam
ヴィヤーサデーヴァよ、あなたの見解は完璧です。あなたの名声には傷ひとつありません。堅い誓いを立てたあなたは真実の真っただ中にいます。ですからあなたは一般大衆をあらゆる物質的束縛から解放しようと、放心状態で主の遊戯への想いに耽ることができるのです。