Title:『少なくとも錨を上げよ』
1969年6月19日、New Vrindavanで行われた法話です。
ŚB 1.5.15
जुगुप्सितं धर्मकृतेऽनुशासत:
स्वभावरक्तस्य महान् व्यतिक्रम: ।
यद्वाक्यतो धर्म इतीतर: स्थितो
न मन्यते तस्य निवारणं जन: ॥ १५ ॥
jugupsitaṁ dharma-kṛte ’nuśāsataḥ
svabhāva-raktasya mahān vyatikramaḥ
yad-vākyato dharma itītaraḥ sthito
na manyate tasya nivāraṇaṁ janaḥ
一般の人々が楽しみたいという傾向にあるのは自然であり、あなたは宗教の名を借りてそれを助長してきました。これはまさに非難されるべきことであり、きわめて理不尽なことです。人々はあなたの教えに導かれてきたのであり、宗教の名のもとにそうした行動を受け入れて、禁止されていることに目もくれません。
विचक्षणोऽस्यार्हति वेदितुं विभो-
रनन्तपारस्य निवृत्तित: सुखम् ।
प्रवर्तमानस्य गुणैरनात्मन-
स्ततो भवान्दर्शय चेष्टितं विभो: ॥ १६ ॥
vicakṣaṇo ’syārhati vedituṁ vibhor
ananta-pārasya nivṛttitaḥ sukham
pravartamānasya guṇair anātmanas
tato bhavān darśaya ceṣṭitaṁ vibhoḥ
至高主は無限なるお方です。精神的な価値のあるこの知識を理解するに値するのは、物質的な幸福を追う活動をやめた熟練者だけです。ですから、物質的なものへの執着のために良い境遇にない人には、至高主のあなた御自身がその超越的な活動に関する記述を通して、超越的な悟りの方法を見せてくださるしかありません。
त्यक्त्वा स्वधर्मं चरणाम्बुजं हरे-
र्भजन्नपक्वोऽथ पतेत्ततो यदि ।
यत्र क्व वाभद्रमभूदमुष्य किं
को वार्थ आप्तोऽभजतां स्वधर्मत: ॥ १७ ॥
tyaktvā sva-dharmaṁ caraṇāmbujaṁ harer
bhajann apakvo ’tha patet tato yadi
yatra kva vābhadram abhūd amuṣya kiṁ
ko vārtha āpto ’bhajatāṁ sva-dharmataḥ
世俗的な仕事を辞めて主への献身奉仕に就く人は、未熟な段階のうちは堕落することがあったとしても、失敗という危険はありません。一方、献身者でない者は完全に職務を行っていたとしても、何も得てはいないのです。