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#044

今回は、前回43回目の質問をされた方から、前回を聞いた上での質問を頂きました。

以下質問

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話の中で出てくるご文

①「乃至十念」と申すは、如来のちかひの名号をとなへんことをすすめたまふに、遍数の定まりなきほどをあらはし、時節を定めざることを衆生にしらせんとおぼしめして、乃至のみことを十念のみなにそへて誓ひたまへるなり。(尊号真像銘文・浄土真宗聖典註釈版P643)

⇒阿弥陀さまは、第18願文に、「乃至十念」と、称名念仏を勧めておられますが、

念仏する者を必ず助ける(念仏の回数や時節は関係ない)という本願であれば、念仏している私は必ず救われると安心してよいのでしょうか?

信心と念仏の関係が、今ひとつ理解(整理)できていないので、お聖教を根拠に、信心と念仏の関係を教えていただけると、ありがたいです。

②しかればたれだれも、煩悩のうすくこきおもかへりみず、罪障のかろきおもきおもさたせず、ただくちにて南無阿弥陀仏ととなえば、こえにつきて決定往生のおもひをなすべし、決定心をすなわち深心となづく。その信心を具しぬれば、決定して往生する也。 (西方指南鈔・大胡太郎実秀に与ふる書・浄土真宗聖典全書3-P997)

⇒「ただくちにて南無阿弥陀仏ととなえば、こえにつきて決定往生のおもひをなすべし」

という法然上人のお言葉ですが、これは、私が称名念仏することによって、信心決定するという意味合いでしょうか?

私の口から出る称名念仏(南無阿弥陀仏)を、私の耳で聞いて(南無阿弥陀仏と聞いて)、お念仏一つで(南無阿弥陀仏一つで)、浄土往生(念仏往生)できると確信(安心)できたのが、他力信心なのでしょうか?

こちらも、称名念仏と信心(真実信心・他力信心)の関係性についての疑問になりますので、

①と②を合わせて、また、ネットラジオ版安心問答で、お話しを聞きたいです。

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今回話の中で出てきたご文

信の一念・行の一念ふたつなれども、信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし。そのゆゑは、行と申すは、本願の名号をひとこゑとなへて往生すと申すことをききて、ひとこゑをもとなへ、もしは十念をもせんは行なり。この御ちかひをききて、疑ふこころのすこしもなきを信の一念と申せば、信と行とふたつときけども、行をひとこゑするとききて疑はねば、行をはなれたる信はなしとききて候ふ。また、信はなれたる行なしとおぼしめすべし。(親鸞聖人御消息7・浄土真宗聖典註釈版P749)

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