今回から5回にわたってお伝えする≪音楽著作権の歴史シリーズ≫の第1弾、
譜面の販売から始まった音楽ビジネスがショー・ビジネスに力を借りて拡大し、レコードの誕生に伴い大きく飛躍していったプロセスについてお話します。 当時の音楽の流行を作った立役者ともいえる音楽出版社とそのビジネスの変化をスティーブン・フォスター、アーヴィング・バーリン、スコット・ジョプリンなどの作曲家たちの活躍を例に挙げご紹介します。 また、レコード会社に曲を売り込む"ソング・プラッガー"についてや、多くの音楽出版社が集中したマンハッタン西28丁目のブロードウェー = 後に”ティン・パン・アレイ”と名付けられポップミュージックの発祥の地と呼ばれた一帯についてもご紹介します。
【音楽ビジネスの誕生】
【音楽著作権の形成期】
【音楽出版社の形態 ①譜面を印刷する会社】
【音楽出版社の形態 ②セールスマン中心の会社】
【音楽出版社の形態 ③作詞・作曲家が主体の会社】
【著作権黎明期の不運な事例】
●スティーブン・フォスター(1826年7月4日-1864年1月13日):ヘンリー・クレイ・ワークと並んで、19世紀半ばのアメリカ合衆国を代表する歌曲作曲家で「アメリカ民謡の父」とも称される。20年間に約200曲を作曲し、その多くはメロディの親しみやすい黒人歌、農園歌、ラブソングや郷愁歌である。代表曲に「草競馬」「ケンタッキーの我が家」「金髪のジェニー」など。●「おおスザンナ」(1847年):スティーブン・フォスターによるミンストレル・ソング。1848年に最初に出版された歌曲で、フォスターはこの歌で100ドルしか稼げなかったが、ファース・ポンド社と楽譜1部につき2セントの印税率で契約し、アメリカで最初のプロのソングライターになった。●
【音楽出版社による楽曲の売り込み】
【当時の音楽出版社によるプロモーションの例「シンギング・ストゥ―ジ」】
●アーヴィング・バーリン(1888年5月11日-1989年9月22日):ベラルーシ生まれのアメリカの作曲家・作詞家。半世紀にわたる音楽活動で膨大な量の優れたポピュラー・ソングを作詞作曲し、ジョージ・ガーシュウインをして「アメリカのシューベルト」と言わしめた人物。代表曲に「ホワイト・クリスマス」「ゴッド・ブレス・アメリカ」「イースター・パレード」など。●
【当時の音楽出版社によるプロモーションの例「ミンストレルズ」】
●ミンストレルズ:「ミンストレル」とは本来は、中世ヨーロッパの宮廷にいた吟遊詩人や宮廷道化師たちを指すが、アメリカでは『ミンストレル・ショー』に出演する芸人たちのことを「ミンストレル」と呼び、顔を黒く塗った白人によって演じられた、踊りや音楽、寸劇などを交えた、アメリカのエンターテインメントの呼称である。●
【初期の音楽出版社の収入源】
【音楽出版社がつくる流行】
●スコット・ジョプリン(1867年または68年‐1917年4月1日):アフリカ系アメリカ人の作曲家、ピアノ演奏家。ラグタイムで有名な演奏家・作曲家で、「ラグタイム王」と呼ばれている。ラグタイムは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、アメリカを中心として流行した黒人音楽に強い影響を受けた音楽ジャンルで、ジャズのルーツの一つとされている。●
【レコードの登場による音楽出版社の変化】
●エンリコ・カルーソ(1873年2月25日‐1921年8月2日):オペラ史上において有名なテノール歌手の一人。オペラを中心に500曲近い歌曲をレパートリーとしており、それらはイタリアの古典歌曲や民謡から当時のポピュラーソングまでを網羅している。レコード録音を盛んに行った最初のスター歌手で、それが彼の知名度を高めた。●
【ソングプラッガーとティン・パン・アレイ】
【ティン・パン・アレイの代名詞「ブリル・ビルディング」】
●アルドン・ミュージック:ニューヨークの音楽出版社。アル・ネヴィンスとドン・カーシュナーが1958年に設立。1950年代末から1960年代のブリル・ビルディング・サウンドに貢献した。契約作曲家はニール・セダカ、ハワード・グリーンフィールド、キャロル・キング、ジェリー・ゴフィン、ニール・ダイアモンド、ポール・サイモン、フィル・スペクター、バリー・マン、シンシア・ワイル、ジャック・ケラーなど。●
了
参考YouTube https://www.youtube.com/watch?v=_nGQirc_i_k