《無を考えてもいいのだ》。シュプレマティズムのマレーヴィチ『無対象の世界』にもリンクする当夜は、久松真一が見出した《東の撥無》、松岡さんが《禅の精神の大半を語りえた》と評価する「無相の自己(formless self)」をキーワードに、久松を概観します。
【千夜千冊】1041夜『東洋的無』久松真一