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新発田市旧築留(つきどの)は城の”築き止めの意”と言われている。新発田城の築城当時にできた町。現在の城北町一丁目付近である。藩時代には、仲間(ちゅうげん)や馬方の人々が多く住んでいた。この稲荷社に向かって左隣には、著名な和算家である丸田源五右衛門正通の屋敷があった。正道は勘定の藩士で、安永八年に生まれ、天保四年に亡くなっている。(担当:妻島)

エフエムしばた「敬和キャンパスレポ」のミニコーナー。新発田を中心に、新潟県内各地の地名の由来についての情報をお届けします。