<アクションとアビリティ>
:アビリティとは
アビリティとは能力。
アクション表現を可能にする能力全般を指す。
アビリティがなくては、その他の技術や運動能力は、アクション表現に活かせないと考えられるべきものである。
それは知識がなければ、存在自体が見えない、感じられない。=認知科学的盲点ゆえ。
:シャドー・アビリティ
モビリティを使って、表現や相手の動きに、自分の身体運動を最適化する能力。
=合わせる力
これは本来プロなら誰もが使いこなしている能力である。
イメージとしては、自分と相手、または要求される表現のあいだにあって、関係性を調整する能力とも言える。
:アクション・アビリティ
アクション・アビリティとは、アクション専用のアビリティということ。
=アクション・モビリティ+シャドー・アビリティ
つまり、機動性と合わせる力を組み合わせ、きっちり機能させることができる能力のこと。
アクション・モビリティ=全身・各部のモビリティ
この両方がなくては、プロといえない。
:立回りアビリティ
立回りを成立させる能力。
多くの場合、立回りモビリティと混同されているが、あちらは必須条件ではあっても、アビリティではない。あくまでも前提条件。
だからどんなにモビリティが優れていても、それだけではよく動いているという域を出ない。=子供ショーに多いパターン。
様・間・見栄・眼力などは、立回りアビリティの典型。
リアルタイム形態表出性と造形性=様の機能
音楽性(リズム性)=間と流れ
対運動同期性
歌舞伎や、チャンバラは、立回りアビリティだけで成立していると考えられる。
これらを総動員して、カッコよさを表現することが、立回り表現の根底にある。=カッコよくなければ無価値である。
現代のリアルっぽい表現の全盛とは、すなわち表現の均一化・均質化であり、それは量産可能化という条件のもとで成立している。すなわち立回り概念の否定=不確実性の高い芸としての完成度の追求を切り捨て、短期的な収益の最大化を最優先するという方法論である。逆に、正統な立回り表現、アクション表現の追求とは、こういったグローバリズム的アプローチに対するアンチテーゼとなるわけだ。そのためにも重要性は高い。
:自己表現とアビリティ
アクション表現における自己表現とは
自分自身のオリジナリティー=独自性を表現すること。
発言の原点はブルース・リーだが、実は日本における芸の概念に近い。
役の人物の戦いだけではなく、そこに自分のスタイルを投影する。
そのためには、アクション・アビリティと、立回りアビリティがなくてはならない。
さらにプレ自己表現アビリティが必要。これに相当するのがスターワーク。
そして自己表現アビリティとは、まだ見ぬアクション表現を創出することのできる能力。それはインプロビゼーションと、インスピレーションによって鍛えられるものである。