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Satsanga
物質界の車輪と内側の現実
Q、物質と超越は、本質的に同じクリシュナのエネルギーから来ているのではないか。それなら、私たちは意識の状態によってそれらを相対的に分けているのか。そして「聖なる音」は、その分離を超えるための橋なのか。
(以下オリジナルの質問そのまま:「物質」と呼ばれるものは、科学的には粒子や素粒子、そしてエネルギーといったものから成り立っていると理解されているけど、それをさらに深く掘り下げていくと、結局はすべてクリシュナのエネルギーに行き着くと思います。バガヴァッド・ギーターでもクリシュナは、「すべては私の拡張した姿である」と言っていて、その視点からすれば、超越界もまた、クリシュナの膨張・拡張に属する存在であって、「物質」と「超越」は、究極的にはクリシュナという一つの源に由来する、同質のエネルギーであると考えられます。もしそうなら、私たちが「物質」と「超越」を区別する根拠や境界とは何なのか?それは絶対的な分離なのか、それとも意識の状態によって相対的に分かれているものなのか?そして、そうした相対的な分離を乗り越える「聖なる音」の橋とは、何を本質的に超えていくためのものなのでしょうか?)
Q、瞑想が嫌いなんだけど、子供でもスッキリ瞑想ができるポイントってあるんですか?
Q、感じ取る事もマインドですか?(例:人が感じている事などを感じ取る事)