第三回目となる今回は、「藤田先生とライシャワー先生について」。
ハーバード大学で交渉学を始めたエドウィン・ライシャワー先生と、
日本に交渉学を持ち帰り普及させていった藤田忠先生。
このお二人について、エピソードとともにご紹介していきます。
【TODAY'S TOPICS】
・日本交渉学の父、藤田忠先生
・元は企業財務を専攻→1973年、ハーバード大学に客員研究員として赴任
・「脅しの研究」などのテーマが交渉学の中で扱われていた
・日本にとっての重要性を直感し、交渉学に選考を変更
・帰国後交渉学を開講、日本交渉協会設立、交渉アナリスト資格の立ち上げ
・当時の国際情勢は、対立を避けるのではなく、乗り越えていく必要性があった
・エドウィン・ライシャワー先生:元駐日アメリカ大使/ハーバード大学にて東アジア研究/交渉学
・戦後日本とアメリカとの間にイコールパートナーシップを築き、両国の発展を目指した
・ライシャワー刺傷事件後の輸血「本当の意味での日本人との混血になった」
・藤田忠先生の詩吟「将東遊題壁(まさにとうゆうせんとしてかべにだいす)釈月性」
・1989年の時点で地球の環境問題を懸念し、国境や文化の壁を乗り越える必要性を訴えた
----------
お聞きいただきありがとうございました。
交渉学についてより詳しい内容をお知りになりたい方は、
「交渉アナリスト」のサイトをご覧ください。