前回に引き続き、渋沢栄一の交渉や人と接するうえでの哲学をご紹介します。大蔵省にて銀行制度の確立に携わる他、実業家として500を超える民間企業の組織立ち上げにも関わってきた渋沢栄一が交渉の際に大切にしていた「交際法」についてお伝えしていきます。
◎渋沢栄一略歴/安藤 雅旺 著「論語営業のすすめ」より
・日本資本主義の父、実業家
・幼少期に『論語』『大学』『中庸』『孟子』の四書五経を修める
・従妹の尾高惇忠に水戸学を学び、尊王攘夷思想に傾倒する
・仲間と決起し、高崎城焼き討ちのために、横浜の外国人居留地の襲撃を計画するも、尾高惇忠の弟の尾高長七郎の説得により中止する
・1864年、平岡円四郎に見いだされ、一橋家(幕府側)の家臣となり、幕臣側の身となる。
・1867年、徳川慶喜の弟の徳川昭武に従い、パリ万博に随行。その間に大政奉還が行われる。
・1869年、明治新政府から大蔵省に入省。国立銀行条例を施行し、銀行制度を確立するなど日本経済の仕組みを構築する。
・1873年、大蔵省を退官。第一国立銀行の総監役に就任。官尊民卑の打破を唱え、合本主義に基づき、王子ホールディングス、東京海上日動火災保険、IHI、JFEスチール、東京ガス、帝国ホテル、清水建設、サッポロビールなど500余りの組織の設立に関わる。
・商業教育にも力を入れ、一橋大学の前身である商法講習所を設立。女性教育のために東京女学館や日本女子大学校の支援を行う。
・社会福祉事業として、東京養育院の運営も行う。貧しい人々への支援も行う。
・平和的関係構築のための民間外交にも力を入れ、対中国関係においては、孫文や蒋介石とも会談を行う。
・「道徳経済合一」を生涯自ら実践する。
【TODAY’S TOPICS】
◎渋沢栄一の人物の観察法
・『論語 為政第二編』の孔子の教えによる人物観察法
→「視・観・察」の3つの視点で、人物を知る
「視」:外形を肉眼によって見ることにより、行為の善悪を見る
「観」:目を開いて見ることにより、その人の行為は何を目的にしているものかを見る
「察」:さらに一歩踏み込み、その人の安心はどこにあるか?その人は何に満足して暮らしているかを見る
◎渋沢栄一の唱える真の交際法とは?
「いわゆる交際下手な人でも、至誠をもって交われば、必ず相手に通ぜぬということはない。巧妙にしゃべっても、心に至誠を欠いての談話なら、相手をして軽薄と感ぜしむるほか、なんら効果もないものである。ゆえに余は、交際の秘訣はだれ一片の至誠に帰着するものであるといいたい。
もし人に対したとき、偽らず、飾らざる自己の衷情を流露し、対座の瞬間においてまったく打ち込んでしまうことができるならば、それは百の交際術、千の社交法を用いたよりも、遥かに超絶した交際の結果を収得することができようと思う」
→交渉術は必要だが、根本は『至誠』である
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