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前回の『教皇選挙』脚本分析 補遺
●私がレイフ・ファインズをエディ・マーサンと間違えた理由(男爵家の末裔と労働者階級出身俳優との違い──カトリックの枢機卿役でいいとこの息子なんか出してんじゃねえよ)
●ニール・ジョーダン『クライング・ゲーム』(『ぼくのエリ』と同じく、登場人物の股間を写すことに脚本・設定上の必然性がある映画)の名前を出し忘れた件について
●そもそもさ、ヴィンセントに「ああいう設定」を当てこんだのなら、世界中オーディションしてでも「ああいう身体」の役者を探してキャスティングしろよ(現時点でのカルロス・ディエスは少なくとも如何なる意味でのセクシュアルマイノリティでもない)。『クライング・ゲーム』のジェイ・デヴィッドソンはちゃんと「ああいう心と精神の人」だったろ。ジェンダー多様性とかなんとか言ってるけどさ、『教皇選挙』は90年代に作られた『クライング・ゲーム』より明らかに後退してるぞ
●宗教と政治に関してリベラルな映画だって言うんならさ、股間くらいちゃんと映せよ。性的搾取の意図がない・脚本上の設定に要請されたものなら何の問題もなかったろ
●結局、『教皇選挙』はその脚色によって「ヴィンセント的肉体の持ち主」と「カトリックの政治性・当事者性」の両方に無礼を働いてしまった、二重の意味でダメな映画

●鹿児島の人間は全員ゲイ(女性もゲイ)
●『ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド』(2021年:スティーヴン・キジャック監督)は、The Smiths をオモチャにした一連の映画群(『500日のサマー』や『イングランド・イズ・マイン』)とは一線を画す傑作
●真のThe Smithsファンは「The Smiths が好き」なんて言わない
●20世紀のポップカルチャーで成功したアイルランド系イングランド人は必ず老害化する
●ヘンリー・ロリンズとモリッシーとの間に多く見出される(しかし20世紀的な観点からは見過ごされていた)共通点の数々
●メタルヘッドのラジオDJと死にたがりの18歳との対話、その過程が懺悔室の中での告解のように映る(しかも、聞き役のメタルヘッド側も音楽と人生にまつわる対話を通して徐々に癒されてゆく)。その2人が初めて相互的な理解の入り口に立つきっかけは、なんと「菜食主義」である
●お互いの人生の対話を通して、罪が贖われ、悪魔が祓われる。本当のカトリシズムってこういうことじゃないの? おい、『教皇選挙』なんか褒めてた人たちよ
●コロナ禍真っ只中に発表された映画だからか、中途半端な受容と評価のされかたのまま放置されている
●自殺を考えたことがある人は、(音楽嗜好の別なしに)全員見てください

全編: https://www.patreon.com/posts/shiyotsupurihuta-126854678

関連稿:

https://note.com/integralverse/n/n7b3fad4c6a0a

https://suspectpress.com/2019/01/16/the-hypocrisy-of-loving-morrissey-while-hating-henry-rollins/

https://www.theguardian.com/music/2016/jan/06/henry-rollins-spoken-word-morrissey-congress

https://integralverse93.wixsite.com/mom2024