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「親父が大腸がんになったんです。」

Yoshiさんの転職理由は、多くの人が想像するキャリアアップとは全く違っていました。製薬業界で働く彼にとって、父親の病気は単なる家族の問題ではなく、自分の仕事への向き合い方を根本から変える出来事だったのです。

なぜ、会社が提示した3つの選択肢ではなく、なぜ4つめの選択肢、転職を選んだのか?

そう、従業員3000人の大手外資製薬会社から、たった70人のドイツ系ベンチャーへ転職。 
父の病気が変えた人生の軌道。

一つ一つは小さな選択でも、それが積み重なって予想もしない運命が生まれる。

「運命って『命を運ぶ』って書くじゃないですか。僕はその瞬間瞬間の選択が、自分の命をどこに運んでいくかを決めている。そうして運命を作っていると考えてます捉えています」

1. 転職4社目 : 10年間のサバイバル戦 - リストラの嵐を乗り越えた男

「転職エージェントから『それだけでも業績ですね』って言われました(笑)」

入社した会社は「取り扱い要注意」のブラックリスト企業。外国人社長が頻繁に人をクビにし、業界内では悪名高い存在でした。

しかし、Yoshiさんはそこで何を見つけたのか?

まさに「修羅場」が最高の成長の場となった10年間の物語です。

2. 夢と現実のギャップ - 海外転勤の約束が教えてくれたこと

「海外で働きたい」- ブラックリスト企業に入社時の希望を伝えており、社長も上司ももちろんサポートしてくれると約束していました。実際、私が知るかぎり10年間で3度のチャンスがありました。

1回目・2回目:新製品の臨床試験の失敗により機会消失
3回目:なんと上司が勝手に断っていた!

「日本を抜けられたら困る」という理由で、知らない間に夢を奪われていたYoshiさん。知らないうちに夢を閉ざされてしまった出来事が、Yoshiさんのその後の人生を大きく変える転機の一つとなりました。

3. 転職5社目 : 運命の1週間 - サンフランシスコからの突然の電話

45歳、ある医師の紹介で始まった小さな縁が、思わぬ展開を生みます。

「来週サンフランシスコに来れますか?」

突然のアメリカからの連絡。
たまたま空いていた1泊2日のスケジュールで弾丸渡米。1日で5人との面接をクリアし、なんと日本法人設立という壮大なプロジェクトのオファーを獲得!

日本法人すらない会社との契約という前代未聞の転職劇。

4. 製薬業界のエリートが安定を捨てて見つけた「本当の自分らしい働き方」製薬会社で順風満帆なキャリアを歩んでいたYoshiさん。

周囲からは羨ましがられる安定した地位にいながら、なぜ彼はリスクを冒してまで転職の道を選んだのでしょうか。

その答えは、彼が語る「思考の枠から出た時に見えた、まったく違う景色」にありました。

運命を変えた一つの決断

「このままでいいのか?」

製薬会社のマーケティング部長として働いていたYoshiさんの心に、ある日ふと浮かんだ疑問でした。安定した給料、将来への不安のない生活。でも、心の奥底では何かが物足りない。そんな漠然とした思いを抱えていた時、アメリカの遺伝子検査会社から声がかかります。

それは、日本法人がまだ存在しない、まさにゼロからの立ち上げプロジェクトでした。周囲からは「なぜそんなリスクを?」と驚かれましたが、Yoshiさんの胸には久しぶりのワクワク感が蘇っていました。

業界が騒然とした退職劇

決断の時が来ました。製薬会社を退職すると発表した瞬間、業界内でSNSなど、ちょっとした騒ぎになります。「あのYoshiが製薬会社をやめた」という話題で持ちきりになり、多くの人から「もったいない」「なぜやめたんですか」と質問攻めにあいます。

でもYoshiさんには確信がありました。「戻れる自信があった」から。この自信こそが、リスクを恐れずに新しい挑戦に向かう原動力だったのです。

気づいた時には「日本に数人」の希少人材に

癌領域での専門知識、遺伝子検査という最先端技術、海外組織でのビジネス経験、そして日本ビジネス立ち上げという特殊な経験。これらが組み合わさった時、Yoshiさんは「日本に数人しかいない人材」になっていました。軸をブラさない転職戦略が、気づけば圧倒的な市場価値を生み出していたのです。

5.  もう一つの顔:コーチングとの意外な関係

実は、Yoshiさんにはもう一つの顔があります。それがコーチング業です。「製薬やマーケティングと全然関係ないじゃないか」とよく言われますが、その原点は製薬会社時代の挫折体験にありました。

すべては30代の頃、一本の電話から始まりました。
29歳でマーケティングに異動した時、年上の部下との関係に悩み、精神的に追い詰められた時期がありました。そんな時に出会ったのが「コーチング」でした。

外資系企業で管理職になった彼は、会社のコーチング研修を受ける機会を得ました。「コーチングってこんなものかな」と思いながら学んだ知識は、実際に部下を持つと全く通用しませんでした。「全然うまくいかへんやんけ」という関西弁混じりの率直な感想が、彼の探求心に火をつけました。

6.   今、明かされる「思考の枠を超える」威力

Yoshiさんが3度の転職で得た最大の気づき、それは「思考の枠から出ることで見える、まったく違う景色」でした。コンフォートゾーンの中で考えていた時には見えなかった世界が、環境を変えることで一気に開けたのです。

結果として年収は大幅にアップし、様々な機会にも恵まれました。でも何より価値があったのは、「自分らしい働き方」を見つけられたことでした。

7.  製薬マーケティング責任者からコーチング起業家へ——ある男の選択が紡いだ物語

履歴書を見れば、誰もが首を傾げるでしょう。転職回数5回。普通なら「この人、何か問題があるのでは?」と思われても仕方ありません。

しかし、転職エージェントは彼の経歴を見てこう言いました。「素晴らしいキャリアですね」と。

現在は米系のがん遺伝子検査会社の日本法人のシニアディレクターを務めながら、自らの会社を立ち上げてコーチング事業を展開する、まさに現代の「複業」を体現する男です。

8.  製薬会社を辞めた瞬間に見えた世界

45歳、製薬会社を辞めた瞬間、予想外のことが起こりました。多くの人が彼のもとに相談に来るようになったのです。

「製薬企業でのマーケティング責任者をやっていた人が会社を出たら、たくさんコンサルしてとの声がかかりました。薬の売り方や製薬企業へのセールスををアドバイスできる人って結構貴重なんですよね」

広告代理店をはじめ、製薬向けにビジネスを展開する人たちから
「どういったプレゼンをしたらいいか」といった相談が殺到しました。

彼はコンサルタントとして的確なアドバイスを与えました。しかし、しばらくすると「ちょっとうまくいきませんでした」という報告が返ってくるのです。

「やり方や考え方は理解して動こうとしているんだけども、結局人の問題で動けていないケースが多かった」

そこで彼は気づきました。「これはもうコンサルの領域じゃない。コーチングなんだ」

9.  人生を変える責任の重さ

無料で相談に乗って、コーチング的な関わりをすることも多かったYoshiさんですが、あるとき重要なことに気づきました。

「コーチングって、その人の人生を変える可能性があるじゃないですか。」

セッションをきっかけに行動が変わり、その人の人生が変わっている。それは大きな責任を伴うことだと気付いたのです。

「無料でやるというのは、逆に責任感がない。ちゃんとお金をいただいて、それに見合うスキルを身につけて、プロとしてちゃんとやった方がいい」

この責任感が、彼をコーチングスクールへと向かわせました。

10.  本業とのシナジーが生む奇跡

コーチングの認定資格、さらにはトレーナー資格まで取得したYoshiさん。2020年後半から副業としてコーチングを開始し、現在で4年目を迎えています。

特筆すべきは、本業との絶妙なシナジー効果です。製薬業界にいる彼は、多くの医師とのつながりを持っています。

「お医者さんって、めちゃんこ大変なお仕事なんですよね。特に今の働き方改革で、大学病院は本当に最悪な状況」

40代、50代の医師たちは仕事の業績や部下の育成はもちろん、人生やキャリアに悩むことも多く、そこでYoshiさんのコーチングが力を発揮します。結果として、本業の製薬業界での仕事とコーチング事業が有機的につながっているのです。

11.  「失敗はない、あるのはフィードバックだけ」

多くの転職を重ね、副業から起業へと歩みを進めてきたYoshiさんが大切にしている考え方があります。

「やったら、フィードバックがあるということ。失敗はないわけです。期待する結果でなかったとしてもそれはフィードバックを得ただけ。それを踏まえて、また動いていけばいい」

転職する時も、「悩んだら、とりあえずちょっと行ってみるか」という軽やかさがありました。結果的に、それが良い方向につながっています。

「製薬にずっといたら、このコーチングをビジネスとして、今自分の会社まで作ってやることは多分できていない」

その時、その時の選択が、今の彼を作り上げてきたのです。