沢野さんの体験談は、単なる昔話ではありません。
海外駐在を夢見る人だけでなく、現状に満足してしまっている全ての日本人に向けた、挑戦者としての生き方を説いた人生論なのです。
失敗を恐れず、常に動き続ける。マグロのように、止まったら死んでしまうという危機感を持ち続ける。そんな生き方が、今の時代にこそ求められているのではないでしょうか。
動き続けなければ死ぬ。それがマグロの、そして真の挑戦者の生き方です。
1.海外に行きたい想いが実現させた転職
安定した企業で数年間働いた後、彼は一つの夢だけを胸に大きな決断を下しました。海外ビジネスを展開するアルプス電気(現アルプスアルパイン)への転職です。
当時、その会社の6〜7割が海外ビジネス。
沢野さんは車載電子部品を扱う部門に配属され、念願の海外勤務への第一歩を踏み出しました。面接では堂々と宣言したそうです。
「海外に行きたいんです。そのためにここに入ってきました」
2.アメリカ駐在の現実は想像を超えていた
1年間、日本で海外営業の「キャッチャー」として経験を積んだ後、ついにその時が来ました。アメリカのデトロイトへの駐在辞令です。夢が叶った瞬間でした。
しかし、現実は甘くありませんでした。アパート探しから始まり、英語の契約書との格闘。マクドナルドで「ヒア・オア・トゥーゴー?」すら聞き取れない屈辱的な日々。デトロイトの早口英語は、彼の英語力を容赦なく打ち砕きました。
さらに重くのしかかったのは、駐在員としてのプレッシャーでした。現地スタッフより高い給料をもらっている以上、それ相応のパフォーマンスを求められる。
「こいつはこのぐらいもらってるのに、この程度のパフォーマンスか」という冷たい視線を常に感じながら、フォード、クライスラー、そして日系の自動車メーカーを相手に、エアコンスイッチやパワーウィンドウスイッチなどの車載部品を売り込む日々が始まりました。
3.なぜ彼は潰れなかったのか?
多くの駐在員が現実の厳しさに打ちのめされ、日本人コミュニティに閉じこもってしまう中で、沢野さんは違いました。「海外に行きたいという想いでここまで来たのに、ここで諦めたら自分が目指すレベルに達していない。やるしかない」という強い信念が彼を支えていたのです。
そして彼が口にした印象的な言葉があります。
「なんか動いてないと死んじゃうみたいな、マグロみたいな人間なんです」。
この哲学こそが、彼を常に前進させ続ける原動力でした。
4.現代日本への痛烈なメッセージ
最終的に沢野さんは、アメリカ人と同等に戦うためにMBAまで取得し、真のグローバル人材として成長を遂げました。しかし、彼の目には今の日本の姿が深刻に映っています。
「今の日本人は本当にヤバい。
安定に甘んじていると、それって本当に怠惰だと思う。
世界中が頑張っている中で、日本だけが今までの貯金を食いつぶしている。そこに行っちゃうと、登り上がるのにすごく時間もかかるし、上がれないかもしれない」
この言葉は、現状維持に安住している私たちへの強烈な警鐘です。
5.5年間のアメリカ生活で掴んだ人生の極意とは?
30代半ば、沢野さんは人生最大の決断を迫られていました。
アメリカ・デトロイトへの5年間単身赴任。しかも課せられたミッションは「売上を2倍にしろ」という、まさに背水の陣でした。
最初の3年間、沢野さんは正直に告白します。
「毎週ゴルフしまくって飲んだくれて...そんな生活でした」。
しかし、残り2年でふと我に返ります。このままではいけない。同僚たちと対等に話すために、MBAを取得しようと決意したのです。
「アメリカは入るのは簡単だけど、出るのがむちゃくちゃ難しい。日本の逆なんです」
働きながらのMBA取得は想像を絶する苦労でした。
16科目46単位を夜と週末だけで取得する日々。「半分ぐらいは泣きが入ってました」と振り返る沢野さん。それでも現地の友人たちの温かいサポートに支えられ、ついに学位を取得します。
「彼らがいなかったら絶対に卒業できなかった」という感謝の言葉からは、異国での人とのつながりの大切さが伝わってきます。
6.「しょうがねえな」と言える強さ、ドイツ8年が鍛えた“どこでも生き抜く力”
5年間のアメリカ生活を終え、日本に帰国した沢野さん。新しい電気製品を揃え、「よし、日本で頑張ろう」と意気込んでいたのも束の間。なんと1年後、またしても海外転勤の辞令が下ります。今度はドイツです。
「最新のエアコンも冷蔵庫も買ったばかりなのに、全部安く売り飛ばして...」
こうして始まったドイツでの8年間は、沢野さんのキャリアにとって転機となりました。
BMW、ダイムラー、アウディといったヨーロッパの名だたる自動車メーカーを相手に、ミュンヘン、デュッセルドルフ、イギリス、スウェーデンまで、ヨーロッパ全域のオペレーションを統括する重責を担ったのです。
特に印象的なのは、日本人社長からローカル社長への交代時期と重なったこと。「サポートを強化しなくちゃいけない」という状況の中、5年の予定が8年に延長されることになります。
「しょうがねえな、残るか。まだヨーロッパで行ってないところもあるし」という沢野さんの飄々とした語り口が、長期海外生活を乗り切る秘訣を物語っています。
8年間のドイツ生活で身につけたのは、単なる語学力やビジネススキルだけではありません。
「住めば都って本当に正しい言葉だと思う」という言葉通り、どこでも生きていける適応力と、異文化の中でも結果を出し続ける実行力でした。
7.13年の海外挑戦がつくった沢野さんの“世界力”
日本帰国後、沢野さんにはもう一つの挑戦が待っていました。中国市場への参入です。「中国をやりたかった」という強い想いを持ちながらも、会社からは一度日本に戻るよう指示される。それでも諦めない沢野さんは、中国担当として1年半にわたり現地メンバーと共にプロジェクトを推進していきます。
合計13年間の海外生活。アメリカで学んだ競争の厳しさ、ドイツで培ったマネジメント力、中国で感じたダイナミズム。そのすべてが沢野さんという人間を形作っています。
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この配信では、グローバルビジネスの最前線で戦い続けた一人のサラリーマンの、等身大の体験談をお聞きいただけます。成功だけでなく、失敗や迷い、家族との時間、そして何度も訪れた人生の転機をどう乗り越えてきたのか。
もしあなたが今、キャリアの壁にぶつかっていたり、新しい挑戦を躊躇していたりするなら、沢野さんの物語は必ず何かのヒントを与えてくれるはずです。
世界を舞台に活躍することは、特別な人だけの話ではありません。普通のサラリーマンでも、決意と行動力があれば、人生は大きく変わる。沢野さんの13年間の軌跡が、それを雄弁に物語っています。
ポッドキャスト「人生配信オンリーワン」沢野さんエピソード あなたの人生観が変わる20分間を、ぜひお聞きください。
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