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初対面の印象は「真面目で優しい人」。

 

でも話を聞けば聞くほど、柳沼さんの中には誰もやっていない道を選ぶ勇気がある。彼自身は「アウトロー的なところがある」と笑う。

 

小学3年生で野球の仲間集めに成功し、チームを0から立ち上げた。

その経験が、今の柳沼さんを作っている。


3つの会社を経営し、ウェルビーイングという大きなテーマで事業を展開する。

常に「誰もやっていないこと」に0から挑戦し続ける彼の原点は、あの小学校時代の成功体験にあった。

「なんかこう、成功体験として今も残ってるような感じがします」

柳沼さんはそう語る。

話を聞いていると、その語り口の上手さにも驚かされる。
まるで映画のワンシーンを見ているかのように、情景が目に浮かぶ。

 

1.「なんとなく」から始まった野球人生

柳沼圭佑さんは1985年生まれ。

今は 3つの会社の代表として「ウェルビーイング」をテーマに事業を展開している。

しかし、彼の人生は決して順風満帆ではなかった。
山あり谷ありの波乱万丈な道のりを歩んできた。

その原点は、小学校時代にある。

父親に「野球を習いなさい」と言われて始めた野球。
正直なところ、最初は「なんとなく」だったと柳沼さんは振り返る。

学校から帰ってきては、グローブとバットとボールを持って友達と練習する日々。少年野球のチームに入り、同級生がまだ野球を習っていない中、2つ年上のお兄さんたちと一緒にプレーしていた。

でも、小学3年生の時、何かが変わった。

 

2.チームを「0から作る」という経験

小学3年生の時、柳沼さんの中にある想いが芽生えた。

「同級生として大会に出たい」。

でも、それを実現するには自分が友達を誘ってこないといけない。

そこで彼は動き出した。
クラスメートや他のクラスの友達で「いいな」と思う子を見つけると、
「野球習わない?」とスカウトしに行った。

そう野球チームを0から作り始めたのだ。

 

3.小学3年生の前歯にボールが直撃事件

「本気で投げてこい」

クラスのガキ大将がそう言った。

でも、小学3年生の柳沼圭佑さんは躊躇した。
怪我をさせたくなかったから。
けれど相手は引かない。

「そんなんじゃ物足りない。本気で投げてこい」

仕方なく、本気でビュンと投げた。

次の瞬間、ボールは彼の前歯を直撃した。

「最悪だ!」

柳沼さんは頭が真っ白になった。
同級生を集めて野球チームを作りたかった。
そのキーマンとなる彼を、自分の手で怪我させてしまった。
その日、前歯を折られた少年は帰っていった。
柳沼さんは「もう終わった」と思った。

しかし、翌日──

「やっぱり野球やるわ」

前歯を折られたはずの少年が、そう言って戻ってきた。

しかも、彼の周りには5人から6人の仲間がいた。
ガキ大将が放った一言が、すべてを変えた。
「お前ら、野球やれ」。

その言葉で、一気にチームメンバーが増えた。
そして前歯を折られた彼は、後にエースピッチャーとなる。

 

4.『自分で作る喜び』が人生を変えた──
起業家の原点

1人、2人と増やしていき、最終的に11人ほどの同級生を集めることに成功した。

そこでは、チーム名を決めるところから、ユニフォームのデザインまで、すべてを自分たちで決めることができた。同級生がいない中、2つ年上の先輩たちと、わずか10人から11人というギリギリの人数で始まったチーム。

振り返ってみれば、これが柳沼さんの
「チームってこうやって出来上がるんだ」という原体験になった。

そして今、3つの会社を立ち上げた彼は言う。
「0から1を作るのが好きなんです」

誰もやっていないことをやりたい。
自分だからこそできることに、やりがいを感じる。
その根底には、小学3年生で味わった「自分で作っていく喜び」があった。

これが、現在40歳で3つの会社を経営する男の、原点の物語だ。

 

5.負けたら坊主。
だから、彼は野球をやめた——

中学2年生の柳沼さんは、顧問の先生にこう告げられました。
「試合に負けたから、お前ら全員 坊主だ」

チームメイトは従った。
でも、彼は違った。
納得できない。
一生懸命やったのに、なぜ負けたら坊主なんだ?

「じゃあ、野球をやめます」

その日、彼は9年間続けた野球から離れることになります。

 

6.父子家庭、東京の団地、買えないもの

小学1年生で両親が離婚。
父親と2つ年上の姉、3人での生活が始まりました。

経済的に豊かではない日々。
買いたいものも買えない。
野球部の月謝も払えない。
母親もいない寂しさを紛らわすように、ただひたすら野球に没頭しました。

地域のオールスターチームのキャプテン。
小学校では仲間を集め、チームを作る才能を発揮。
野球は彼の居場所でした。

 

7.「お前、才能あるんだから、
もう1回、野球をやれ」

先輩だった中学3年生を送り出す卒業式の日。

やめたはずの野球部の顧問が、彼を呼び止めました。
いつものように耳を引っ張りながら。

「お前才能あるんだから、もう1回、野球をやれ。
俺もいなくなるから」

先生も、学校を去るタイミングでした。

葛藤の末、彼は決断します。
最後の夏、ピッチャーとして戻ることを。

 

8.不真面目だった自分が、ピッチャーで試合に出ていいのか?

真面目に続けてきた仲間たちの中で、ピッチャーマウンドに立つ。
3回戦で敗退。

「こんな自分がピッチャーをやっていいのか」
今でも心に残る、複雑な思い。

でも、チームは彼を受け入れました。
戦力として、仲間として。

 

9.そして高校へ——野球を続けるか、やめるか

有名な高校からの誘いもありました。
でも、経済的な余裕はない。
私立という選択肢は選べない。

中学3年、千葉県の拓大紅陵高校のグラウンドで、
選抜メンバーとして他地区の強豪と対戦した時——

全然通用しなかった。

体格も実力も、圧倒的な差。
胃の中がひっくり返るような衝撃。

「これはダメだな」

自分に言い訳しながら、彼は野球から離れる決断をしました。

 

10.40歳で、まだ「0→1」は終わらない

今回のポッドキャスト番組「人生配信オンリーワン」では、柳沼圭佑さんの人生を配信しています。

小学校時代の「0→1」成功体験から、3つの会社を経営するまでの「山あり谷あり」の人生。

ウェルビーイングを広める理由。
仲間を集め、チームを作る極意。
そして40歳で「誰もやっていないこと」に挑戦し続ける理由。

前歯を折ってしまった相手が、エースピッチャーになった。
小学3年生で11人のチームを作り上げた。
その経験が、今も彼を動かし続けている。

起業を考えている人、
チーム作りに悩んでいる人、
0から1の仕事に興味がある人、
人生の転機を迎えている人、
誰かの人生に勇気をもらいたい人。

このエピソードは、あなたの心に響くはずだ。

選択と葛藤の連続が、人を作る

高校時代、野球をやめた彼はアルバイトと友達との時間に没頭します。
そこから彼の人生は、どう展開していくのか——?

第2話もお楽しみに!

 

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