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Description

ポピュラー音楽とクラシックの融合を成し遂げた、「アメリカ音楽の父」と呼ばれる音楽家がいます。
ジョージ・ガーシュウィン。
1924年2月12日、ニューヨークのエオリアンホールに集まった聴衆は、今まで聴いたことがないような旋律に驚きます。
若干25歳の青年が作曲した、『ラプソディ・イン・ブルー』。
ガーシュウィンは、この作品をわずか2週間で書き上げました。
ボストンに向かう列車の走行音から着想したと言われる楽曲で、彼は一夜にして、富と名声を得るのです。
専門的な音楽学校に通うこともなく、独学でオーケストレーションを学び、ミュージカルや映画音楽だけではなく、クラシックの作曲家として、世界的にその名を知られるようになりました。
さらに自分を高めるため、当時、一世を風靡していたモーリス・ラヴェルに教えを請うたのですが、こう言われます。
「ガーシュウィンさん、あなたはもうすでに一流のガーシュウィンなのだから、今更、二流のラヴェルになる必要はありません」
東欧系のユダヤ人の移民の子として、ブルックリンに生まれた彼は、決して裕福な環境に恵まれたわけではありませんでした。
やんちゃで粗野だった彼の、その人生を変えるきっかけになったのは、6歳の時の直感でした。
場末のゲームセンターから流れてくる音楽を聴いて、思わず立ち止まったとき、ガーシュウィンの音楽人生が始まったのです。
彼は、こんな言葉を残しています。
「人生は、ジャズととてもよく似ている。
直感に従った即興のときほど、全てうまくいく」
アメリカ音楽の新しい扉を開いたレジェンド、ジョージ・ガーシュウィンが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?