今年生誕100年を迎える歴史小説家のレジェンドがいます。
司馬遼太郎(しば・りょうたろう)。
『竜馬がゆく』『坂の上の雲』『国盗り物語』などの歴史小説はもちろん、『この国のかたち』『街道をゆく』をはじめとする、随筆・紀行文でも、圧倒的な筆力・取材力で、国民的な作家として君臨しつづけています。
司馬は、「なぜ、小説を書いてきたのですか?」という問いに、こう答えていました。
「ことさら簡単に申しますと、私は二十二歳の自分にずっと手紙を書きつづけてきたような気がします」
司馬遼太郎が、22歳になったとき。
それは、昭和20年8月7日。
その8日後に、日本は降伏します。
「明治、大正を経て、日本人は、すっかり変わってしまった、日本人は、おのれの原点を見失ってしまった」
終戦後、そう確信した彼は、日本人の規範であった「武士道」を再認識したのです。
終戦間際。
栃木の佐野にあった戦車 第一連隊に所属していた司馬は、そのときのある体験を忘れることができません。
連隊の将校が少佐に尋ねました。
「少佐殿、我々の連隊は、敵が上陸すると同時に南下、敵を水際で撃退する任務を持っております。
しかしながら、東京都民が避難のため、北上することは必至。街道の大混雑が予想されます。
そんな中、我が戦車隊は、立ち往生してしまうと考えられます。
いかがいたしますか?」
少佐は、すぐさま、こう言ったのです。
「ひき殺して進め」
それを聞いていた司馬は、思いました。
「日本人のために闘っているはずの軍隊が、味方をひき殺す?
その論理はいったいどこから来るんだ?
おかしい、何かがおかしい!」
そのときの違和感が、一生、彼の創作の背後にあったのです。
日本人が、日本人であるために、何が必要か。
彼は、晩年、若者たちにこう言いました。
「いいですか、みなさん、自己を確立するのです。
そのために、みなさんひとりひとりの『微弱なる電流』を強くしてください」
唯一無二の世界を描き続けた大ベストセラー作家・司馬遼太郎が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?