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Description

今年、生誕120年、没後60年を迎える、映画監督のレジェンドがいます。
小津安二郎(おづ・やすじろう)。
神奈川近代文学館では、先月まで回顧展が開かれていました。
この展覧会には、直筆の日記や台本、小津が愛用した、丸いツバ付きの白い帽子、ピケ帽も展示されていました。
1903年12月12日生まれの小津は、還暦を迎えるちょうどその日に、60年の生涯を閉じました。
彼の映画人生を映し出す、言葉があります。

「なんでもないことは、流行に従う。
重大なことは、道徳に従う。
芸術のことは、自分に従う」

実際、小津のフィルム製作へのこだわりは、並大抵のものではありませんでした。
俗に「動の黒澤、静の小津」と言われるとおり、アクションシーン、活劇にドラマティックな展開を得意とした黒澤明に対して、小津は、ささやかな日常、親子の情愛や生きることの哀しさを、ローポジション、短いセリフ、計算されたカット割りで、静かに描き切りました。
ハリウッド映画に影響を与えた黒澤と、ヨーロッパやアジア映画に影響を与えた小津。
二人の巨匠の作品を比べれば、小津安二郎が言った、「自分に従う」という意味が見えてきます。
ただ、己の芸術観を押し付けるためだけの『小津調』ではありませんでした。
当時の撮影に関わったひとの証言によれば、ローポジション、カメラの低いアングルは、観客への配慮からだったことがわかります。
まず、観客を見下して作っているわけではないということ、そして、大スクリーンの1階席。
もっとも映画に没入できるポジションが、この位置だったからだ、ということ。
小津は「わかりやすく」「親切に」を、大切にしたのです。
そうした「優しさ」は、小津映画全編にあふれ、ささいな目線ひとつで、観客はフィルムの向こうの登場人物たちに感情移入し、涙を流すのです。
頭を垂れ、より低い位置から命を見つめた、日本映画界の至宝・小津安二郎が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?