近代看護教育の母といわれる、イギリスのレジェンドがいます。
フローレンス・ナイチンゲール。
彼女の誕生日、5月12日は、国際看護師の日に制定されています。
看護の世界においてその名は世界中に轟いていますが、ナイチンゲールがいったい何をしたひとなのか、意外に知られていないのかもしれません。
しかも、今からおよそ200年前のイギリス社会に生きた彼女が、どれほどの苦労、苦悩を経験したかは、おそらく、安易に想像するのは難しいのではないかと思われます。
貧富の差。男女差別。女性に対する偏見。
何より病院における看護師の位置づけは、驚くほど低かったのです。
そもそも、当時、病院は富裕層にとって、決して行ってはいけないところ。
病気になれば、屋敷まで医者に来てもらうのが通例でした。
病院は、どこも汚く、暗く、運営もひどいものだったのです。
同じベッドに、二人の患者。
足を骨折したひとと、伝染病で余命いくばくもないひとが、重なるように寝ていました。
床は埃にまみれ、至る所にカビ。
マットレスやシーツは一度も洗濯されず、医者は手を洗わず、手術の際は、血だらけのうわっぱりを着るだけでした。
看護師に至っては、ほぼ小間使い。
ひとつの病棟にひとりしかいない看護師は、火をたき、食事を作り、患者の世話をするよりも、やらなければならないことが多すぎたのです。
朝5時から夜まで働き、中には昼間から酒を飲まないとやっていられない看護師も多かったと言います。
裕福な家庭に生まれたナイチンゲールは、初めて病院という場所に足を踏み入れたとき、愕然としました。
このありさまでは、この国は滅んでしまう…。
なぜ、ナイチンゲールが病院に関心を持ったのか。
それは、16歳の時に、自分の人生の意味を考えたからです。
自分には、一生を捧げるに値する仕事があるはずだ。
自分がこの世に生まれてきた意味が知りたい。
そして、できれば、その使命を全うしたい。
誰かの役に立ちたい!
たとえ、その先に、壮絶な苦難が待っていようとも…。
結婚もせず、裕福な地位も捨て、看護の道に一生を捧げた賢人、フローレンス・ナイチンゲールが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?