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江戸時代中期に活躍した、日本で最初の女性医師と言われるレジェンドがいます。
野中婉(のなか・えん)。
彼女の運命は、想像を絶するほど過酷なものです。
4歳になるころ、幽閉。
いわゆる座敷牢に閉じ込められ、それからおよそ40年間、一歩も外に出ることを許されませんでした。
しかし、狭い部屋の中で、父が懇意にしていた儒学者の谷秦山(たに・じんざん)と手紙のやりとりをして勉学に励みます。
儒学、詩歌、漢学に、医学。
44歳でようやく自由の身になったとき、彼女は、医者として生きていくことを決めるのです。
彼女の数奇な人生は、作家の大原富枝(おおはら・とみえ)が小説化し、岩下志麻主演で映画にもなりました。

なぜ、婉は、幽閉されることになったのか。
それは彼女の父、野中兼山(のなか・けんざん)への、報復でした。

兼山は、土佐藩の家老。
干ばつで苦しむ農民のために、新田開発を積極的に行うなど、地域の発展のために尽力した賢人です。
特に、彼が作った山田堰の技術は革新的で、アフガニスタンの灌漑(かんがい)事業に身を捧げた、中村哲(なかむら・てつ)医師に受け継がれました。
藩の英雄であるはずの兼山でしたが、そのやり方に独裁的な様相が混じり、藩士の恨みを買ってしまいました。
1663年、反対派の謀略により、失脚。
謀反の罪に着せられ、49歳の若さで、この世を去りました。
反対派の兼山に対する恨みは強く、野中家の血筋をいっさい断つことに執着します。
野中家には、母、乳母、兄弟姉妹が7人いましたが、全員が獄舎に閉じ込められ、婉の兄や弟がこの世を去り、女性たちが子どもを産めなくなる年齢まで、座敷牢から出ることを禁じ、子孫を残せないようにしました。
監視の目が一日中ある、狭い獄舎の中、次々と亡くなっていく兄弟たち。
44歳で外に出ることを許された婉は、何を思い、何を胸に抱いて、その後の人生を生きたのでしょうか。
伝説の女性医師・野中婉が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?