『俘虜記』『野火』『レイテ戦記』という作品群で、近代日本の戦争文学の在り方を一変させた、レジェンドがいます。
大岡昇平(おおおか・しょうへい)。
特に、1952年に発刊した『野火』は、極限状態での人間のあり方を説いた戦記小説の金字塔として、世界各国で翻訳され、いまなお読み継がれている名作です。
大岡自身、戦地を体験しました。
召集されたのは、35歳という兵士としてはかなりの高齢。
サラリーマン生活を送っていた頃のことでした。
1944年3月、終戦までおよそ1年5か月。
日本は、じりじりと追い詰められ、各地で消耗戦を余儀なくされていました。
7月、大岡はフィリピンに送られ、ミンドロ島のサンホセという場所で暗号の解読係の命を受けました。
しかしその3か月後、大日本帝国海軍連合艦隊は、レイテ沖海戦で撃沈。
ミンドロ島にいる陸軍兵士たちは、支援のないまま、取り残されてしまったのです。
翌1945年、マラリアに犯された大岡は、ひとり密林をさまよいます。
このときの孤独、想像を絶する飢え、恐怖体験が、『野火』に結実したのです。
手りゅう弾を使って自害をはかりますが、失敗。
銃で命を断とうとしますが、これも未遂に終わり、意識を失ったところをアメリカ兵に捕らえられました。
捕虜収容所で、終戦。
捕虜時代の体験をもとに、『俘虜記』を書きました。
なぜ、彼は書いたのでしょうか。
それは、戦地で亡くなっていった戦友への鎮魂、贖罪、そして、言葉で残さないかぎり、人間はまた戦争という同じ過ちを繰り返すのではないかという危機感だったのかもしれません。
彼は、言葉の力を信じていました。
発言することの重要性も、ことあるごとに提示しました。
あるインタビューでは、こんな言葉を残しています。
「NOと言い続けるのが文学者の役割である」
常に忖度を嫌い、己の思いを隠さなかった賢人、大岡昇平が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?