年末の風物詩、通称『第九』を作曲した、音楽家のレジェンドがいます。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。
交響曲第9番がウィーンで初演されたとき、ベートーヴェンは54歳で、このとき彼の耳は、ほとんど聴こえなかったと言われています。
初演のときに曲が終わっても気づかず、隣の女性が客席を振り向かせたとき、聴衆が立ち上がり、激しく拍手をしている姿を見て、初めてこの曲の成功を確信しました。
第九は、新しい試みに満ちています。
70分にも及ぶ演奏時間の長さは、当時、破格でした。
のちに、CDの最長録音時間がおよそ74分に設定されたのは、この第九を一枚に収めるためだったという説があります。
これまで使われていなかった打楽器、シンバルやトライアングルなどの導入、さらに最も世間を驚かせたのは、第4楽章の合唱です。
4人の独唱と混声合唱団が歌うのは、ドイツの詩人、シラーの『歓喜に寄せて』。
しかし、歌いはじめのフレーズは、ベートーヴェンが自ら作詞したものなのです。
「おお、友よ!この音色ではない!
そうではなくて、我々をもっと心地よい世界に導く、喜びにあふれた音色に、心をゆだねよう!」
そうではない、という否定から入る歌詞。
実は、第4楽章の合唱に入る前にも、ベートーヴェンは、第1楽章から第3楽章までの全ての主題を否定します。
自らが奏でた調べを全否定してからの、歓喜の歌。
最後にして集大成の、ベートーヴェン、交響曲第9番がなぜ全世界のひとに愛され続けるのか。
そこには、これまでの自分を否定し、さらなる高みを目指す戦いの軌跡があったのです。
56歳でこの世を去った音楽界の至宝、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?