常に弱者の視点に立ち、『サスケ』『カムイ伝』などの名作を遺した、漫画家のレジェンドがいます。
白土三平(しらと・さんぺい)。
白土にとって、長野県上田市真田町で暮らした少年時代は、自身の稀有な作風の原点だったと、のちに回想しています。
光文社の漫画雑誌『少年』に、1961年から1966年まで連載され、アニメ化もされた『サスケ』。
江戸時代、甲賀流の少年忍者・サスケが、さまざまな刺客と闘いながら成長していく様を描いた傑作ですが、絵柄の子どもらしさとは対照的に、登場人物たちは、理不尽に、そして残酷に切られ、死んでいきます。
そこに救いはなく、哀しさと寄る辺なさだけが余韻として残るのです。
彼のライフワークになった『カムイ伝』は、階級差別を受ける出自を持つ主人公が、冷酷な社会に対峙しながら、自然の猛威にも翻弄され、「食うために生きぬく」姿を描いた、名作です。
白土は漫画の中に、当時では珍しい、解説を差し込みました。
少年たちは、それを読み、枯れ葉を集め、雲隠れの術を真似たのです。
忍者たちが切り合った場面を画いた後、どんなふうに刀を使ったか、スローモーションで見てみましょうと、刀さばきも解説しました。
戦時下、中学生の時に都会から長野に疎開してきた、白土少年。
彼の父が、「日本プロレタリア美術家同盟」に属する画家だったことも重なり、中学での扱いは決して優しいものではありませんでした。
配給の長靴はもらえず、彼は片道2時間かかる雪道を、藁草履で通い続けたのです。
さらに白土少年を驚かせたのは、過酷な自然との闘い。
イノシシを解体する様子を間近で見ました。
ひとは、平気で差別し、階級をつくる。
ひとは、生きるために、獣をさばき、野山をめぐる。
この体験は、彼の心に深く刻まれ、生涯、忘れることはありませんでした。
戦国の世の無常を描いた、唯一無二の漫画家・白土三平が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?