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生涯でただ一つの長編小説『源氏物語』を書いた、平安時代中期の歌人がいます。
紫式部(むらさきしきぶ)。
紫式部は、本名ではなく、父・藤原為時(ふじわらのためとき)が式部省の役人だったことに由来する、いわばペンネーム。
平安時代は、女性の名前が正確に記録されることはなく、当初は、藤原氏出身ということで「藤式部(とうのしきぶ)」と呼ばれていました。
それがどのような経緯で紫式部になったのかは、諸説あります。
生まれ育った京都の紫野からとった、という説、藤の花の色から、という説、そして『源氏物語』の紫の上からつけられた、という説など、さまざまです。
世界最古の長編小説と言われている、『源氏物語』。
その唯一無二の作品は、名立たる有名作家に訳されてきました。
「紫式部は私の12才の時からの恩師である」と語った与謝野晶子。
円地文子(えんち・ふみこ)は、現代語訳をするためだけに、専用のアパートを借り、5年半かけて完成させました。
瀬戸内寂聴もまた、『源氏物語』を訳するためにマンションを購入、人生を賭けて対峙したのです。
近年では、角田光代さんによる現代語訳も大きな話題となりました。
海外でも早くから翻訳が進み、1966年には、日本人として初めて、ユネスコの「偉人年祭表」に加えられました。
なぜ、それほどまでに人は『源氏物語』に魅せられるのでしょうか。
およそ500人もが登場する、全54帖の大長編では、天皇家に生まれた光源氏の恋愛模様を中心に、宮廷でのさまざまな出来事、権力闘争が描かれます。
性格の違う女性を描き分ける筆力はもちろん、光源氏の哀しさや、人生に対する深い洞察は、千年の時を越えて、私たちの心の湖に大きな石を投げるように、幾重もの波紋を呼び起すのです。
平安時代、文学作品を書けるのは、御后や子どもたちが暮らす後宮に勤める、女房と呼ばれた女性でした。
紫式部が、女房文学の頂点に立つことができた理由とは?
そして、人生でつかんだ、明日へのyes!とは?