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東日本大地震から14年、吉村さんと振り返りながらお話しさせて頂きました。

 

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◆文字起こしはこちら↓

 

三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの

吉村:吉村竜児です。

三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。

吉村:よろしくお願いします。

三上:配信日、3月11日、東日本大震災から14年目、14年が経ったということなんですけども、

今日はちょっといろんな振り返りながらお話しを進めていこうかなと思うんですけども、

吉村さん的にこの日は14年前に何か印象に残ったことはありますか?

吉村:その時は、うちの娘たちがまだ保育園にいたときで、確か日中、僕は一仕事を終えて、それでお昼を買いにスーパーに行ってたとか、そんなときだったと思いますよ。

急にスーパーの食品売り場のところで、ぐらって揺れだしたわけですけど、

最初ちょっとね、なんかあれ、めまいでもしてんのかなとかって思ったんですけど、で、奥さんはこれ地震じゃない?みたいな感じで、ちょっと外出た方がいいかもねって、地下だったんでね、そこはね。

だから階段を登って、外に出たんですけど、ほんとに地面がぐらんぐらん揺れてて、すごい、え、何だこれ?みたいな感じだったんですよ。

なんか大きな地震だなって。大きな地震だなって思ってたけど、まさか大震災レベルのものだとか、そのときは思ってなかったんで。

ただ、なんとなくちょっとあれでしたよね、変な、なんかこれちょっといろいろとインフラが止まったりとか、なんか起きちゃうかもしれないなって、そのときは思ったんで、

急いで車出して、近くのガソリンスタンドで満タンにして、それで娘たちの保育園に迎えに行ったんですよね。

そしたら、もうちゃんと向こうの方でも準備してくれてて、すぐに受け渡しができて、子供たちを連れて家に帰ってきて、テレビとかつけたら、実はすごいとんでもない地震だったっていうのがそこでわかって。

三上:いやでも私もそうですね。

そのときは医療事務をしてて、医療事務の、沖縄なんで揺れてはないんですけど、テレビを見てると、津波とか空港が全部水浸しになって、映像がいろいろ流れてくるんですよ、地震の影響で、災害の。

これは映画ですかっていうか、夢を見てるんですかっていう、動画というかテレビを見ながら、本当に起きたことなのかっていうぐらいの衝撃だったのを覚えてますね、その日は。

なんかやっぱり、いろんな皆さん大変な思いを、未だにまだ残ってる方もいらっしゃると思うんですけど、その話の中でも、やっぱり日本人ならではのいろんな災害があったときも、ちゃんと並んでとかっていうお話もいろんな報道がありましたよね。

吉村:そうですね。

本当に津波の映像とか衝撃的でね、やっぱりかなり怖いというかね、感情的にインパクトが強すぎるなと思ったんで、子どもたちにはなるべくテレビの映像とか見せないようにしてたんですけど、

しばらくして落ち着いてから、被災された方たちがきちっと奪い合いとかしないで、列に並んでいるところとかを、海外の人たちが見てすごく驚いてるとかっていう報道を見たりとか。

あと本当に復興が早かったっていうことに関しても、海外の人たちがすごく驚いてるっていう報道がありましたよね。

道路とかがガタガタになったのが、結構短いスパンでちゃんと通れるようになったりとかで。

実際に後からいろいろ聞いた話だと、それなりに犯罪だったりとか起きたりっていうのもあったっていう話も聞きましたけど、

ただ全体的に見たらすごく本当にちゃんとお互い助け合うみたいなことだったりとか。

あとは僕の周りでも経営者の方たちがボランティアで行かれたりとかっていう人たちもいっぱいいて、僕はもうその頃実は前の奥さんとの離婚裁判で親権争いをしてる最中だったんで。

本当に片時も子どもたちから目を離せないっていう状態だったんで、現地でボランティアとかできる状態ではなかったんですけど、

周りの人たちは結構その辺頑張ってる人たちとかいてすごいなと思いながら見てましたね。

三上:その時にやっぱり支え合う、みんなが大変な時に動けるエネルギーというか、自分が大切って思うじゃないですか。きっと。

その中で、やっぱり支え合えることとか、あとやっぱり今何もない状態で備えたりとか、今起きたらどうなんだろうとかっていろいろ改めて考える時かなっていうふうにも思うんですけど。

吉村:そうですね。

自分が大切っていうのは結構大事なことだと思うんです。

自分を犠牲にしてでも人のためにとかってやりだすとだいたい人は不幸になっていくんで、そこはやめたほうがいいと思うんですけど。

ただじゃあ自分がその幸せになるためにはっていうことをずっと突き詰めて考えていったら、やっぱり周りの人たちとの関係性がうまくいっていることっていうのは、実は欠かせないことなんですよね。

人ってやっぱり一人では生きていけないし。

三上:そうですね。

吉村:だから、本当に自分の幸せをちゃんとしっかりと地に足つけて突き詰めて考えた場合、周りの人たちも幸せでいることがすごく大事になってくるんですよ。

いってみたら周りの人たちが幸せであることが自分の幸せの究極的な条件の一つになっているっていうことなんで。

なので、なんか助け合うことって重要だし、

ちょっとスピリチュアル的な見方で愛とはってことを考えた時に、愛ってその特定のだけを特別視してそれだけを大事にするってことじゃなくて、自分とその対象が一つであるっていう捉え方になるのが愛だと思うんですね。

だから、私はあなた、あなたは私とか、これは相手が人じゃなくて物とか動物でもいいんですけど、

結局自分とこの対象が別物って考えたら自分さえよければいいっていう考え方が成立するんですよね。

三上:確かに。

吉村:だけど、自分と対象がその一つのもの、全体を構成しているもののそれぞれの一部っていうかね、僕とうちの猫たちっていうのがいたとして、

自分の視点が自分だけじゃなくて、自分と猫たちを含めたこの全体というところが自分の視点になることができれば、

自分と猫たちが皆ハッピーな状態が、本当に幸せな状態ってなるし、うちの娘たちと僕って考えた時に、僕だけ幸せで娘たちが不幸だったら本当の幸せではないわけですよね。

三上:そうですね。

吉村:となったら、うちの娘たちが幸せであるってことが、僕の幸せにとって結構重要なことになってくるわけですけど、

うちの娘たちは娘たちで、それぞれクラスメイトとか友達がいたりするわけだし、それこそ就職したら就職した先での人間関係とかってなると、

うちの娘たちが幸せであるためにはってことを究極的に突き詰めたら、たぶんうちの娘たちはあの友達も幸せであることがやっぱり私の幸せの条件だよなってなるわけですよね。

そうすると、僕とその娘たちの友達っていうのは直接的にはそんなに関係性はないですけど、でも僕が幸せであるためにうちの娘たちが幸せであることが必要ってことは、

娘たちが幸せであるためにその友達が幸せであることが必要ってなると、その間接的にはつながってるわけじゃないですか。

三上:うん、確かに。

吉村:ってなったときに、実際にはじゃあ本当に自分が幸せであるためにはっていうのを、そういう観点でどんどんどんどん数珠つなぎというか、ネットワーク的につながりを考えていったら、

やっぱり世界が平和で幸せであることが最終的には自分の幸せの条件だよなっていうところにたどり着くと、僕は思うんですよね。

三上:そうですね、確かにそうだ。

吉村:ただ自分の手が届くところっていうのはそんなに広くないから、手が届く範囲内で幸せを作っていこうと、幸せと平和を作るっていうことを考えたときに、

じゃあ僕の手が届かないところはきっとそこに手が届く人たちがやってくれるだろうなっていう、だからその人たちがそれをやりやすくする、手助けが何かできるならするし、

僕の手が届く範囲を超えたところに関しては、僕は分からないから、じゃあそちら頑張ってねって言うしかないみたいなところで、お互いそういう信頼し合って協力し合うみたいな関係性が構築できるんじゃないかなって思いますよね。

三上:そうですね。

だからなんだろう、いつまたこういうことが起きるか分からないってなったときに、そうでありたいなって私も思います。

支え合いたい。

吉村:まずは自分の手が届く範囲で支え合うっていうことを、みんながコツコツやっていったら、多分それが広がっていったら、そのうち、いつかは世界中の人たちが支え合っているような世界になるんじゃないかなと思いますね。

三上:こころメンテナンスもそうですよね。

吉村:そのためのクリアリングってことですよね。

三上:つながりますね、いろいろ。はい、ということで、今日は東日本大震災から14年目ということで取り上げてお話しさせていただきました。

本日も吉村さんありがとうございました。

吉村:ありがとうございました。