思い通りにいかなかった出来事の中にも、実は大切な気づきや成長のヒントが隠れているかも
「うまくいかなかったこと」こそが、後から振り返れば大きなギフトだったと気づくかもしれません。
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三上:皆さん、こんにちは。こころメンテナンス、本日もアシスタント三上恵と、氣功ヒーラーの
吉村:吉村竜児です。
三上:吉村さん、本日もよろしくお願いします。
吉村:よろしくお願いします。
三上:今日のテーマ、私も氣になっています。テーマからまずお伝えしたいと思います。「うまくいかなかったことに隠されたギフト」をテーマにお届けしていきたいと思うんですけど。
吉村:はい。
三上:こんなはずじゃなかったなって、私も最近あったので。
吉村:うーん、なるほどですね。
三上:こういうつもりのプランじゃなかったけどなみたいな。アレレレ?みたいな感じなことがあって、ちょっと落ちた時期があったんですけど。うまくいかなかった裏に隠されたギフトという、これはどういったテーマの内容になりますか?吉村さん。
吉村:自分で何かを選んだ時にそれがうまくいったかいかなかったかっていうのは、実際その時点での評価って話じゃないですか。
三上:うんうんうん。
吉村:あと何をもってうまくいった、うまくいかなかったかって評価してるかっていうところもあるから、例えば一つの面ではうまくいかなかったけど何か別の面では実はそこで大事なことを学べてたとか、何か経験を積めてたっていうこともあるわけですよね。
三上:そうですね。
吉村:だから出来事自体の良し悪しって一つの側面だけで測りきれないっていうところがあるっていうのがまず一つの見方なんですけど。とは言えその判断をしたことによってすごく時間を浪費してしまったとか収入が下がってしまったとか、
自分の自由度が減ってしまったとかっていうことがあると、ある意味実害が出てるっていう話でもあるんで、それに関して何かうまくいかなかったなって思ってしまうっていうのはある意味仕方ないことかなとは思うんですよ。
三上:うん。
吉村:それに対してその時点での評価っていうことではあるんですけど、結構それでその時はしょうがないなって、勉強させてもらったっていうふうに自分を納得させて次に進もうみたいなことを多くの人はしてると思うんですよね。
三上:うん。
吉村:それができないといつまでもモヤモヤし続けて、あのときああしとけばよかったみたいな感じになるんですけど、それが実際はすごく無駄なことというかより害が多いことになってしまうんですよね。
っていうのが結構、あの時ああしとけばよかったって何度も思ってると、それがパターン化して自分の中にあの時ああしとけばよかったを反すうする回路みたいなのができてしまうんですよ。
三上:確かに。
吉村:これがいわゆるブロックなわけですよね。それが後々になっても、結局そこであの時ああしとけばよかったっていう処理に自分の処理能力の一部がいつも取られてるっていう状態になってしまうから、
今のことに集中したいのに処理能力の一部が取られちゃってるから、リソースが足りないみたいなことになってしまうわけですよ。
なのでそこはそういうことが起きたらクリアリングしていくっていうことで対応していくことは可能なんですけど、そもそもそういう回路を作らない生き方ができたほうが後々になって問題が起きてからブロック探してクリアリングするっていうその時間も短縮できちゃうわけですよね。
三上:そうですね、確かに。
吉村:だからそのときには、ちょっと損しちゃったけど授業料としてここで何か学びが得られたんだろうみたいなね。結局そのときにどういう基準で判断したからうまくいかなかったんだろうかとか、
何がうまくいかなかった原因になったかっていうのを分析していくことが大事なんですけど、ここでも結構多くの人が陥ってしまいがちな落とし穴がなぜダメだったんだろうって考え方をしがちなんですよ。
三上:なぜ?うん。
吉村:何で?どうして?って考えると、実際に何があったかとか何が要因になったかっていうことよりも、何が悪かったかっていう発想で考えがちになるんですね。ってことは何か悪いものを見つけてそれを悪者にすることで自分を納得させるっていうロジックになりがちなんですよ。
三上:そうですね、方向性が。
吉村:これもまたブロックになっちゃうんですよ。
三上:そうですね。
吉村:例えばつまづいて転んでしまいましたと。何がつまづいて転んだ原因になったんだろうって考えたときに、ここに物があったのに氣がつかなくて引っかかってしまったんだなっていうこと。
そしたら物がそこになかったらつまづかなかったっていうのが一つ考えられることと、あとは足がもうちょっと上がってたらつまづかなかったっていうことと両方あるじゃないですか。
三上:うん。
吉村:その場合歩く動線に余計なものが落ちてないようにちゃんと整理整頓しておくっていう対処法と、あとはちょっとした段差とかでもよくつまづくみたいなことが起きてるんだとしたら、それってちょっと体力落ちてるのかなとか、
だったらちょっと足を上げる筋トレした方がいいのかなとかそういう話になってくるんですよね。別に何かが悪いとかじゃなくて、つまづいて転んだっていう現象があるからつまづいて転ばないようにするためには何をしたらいいだろうかっていうことをやってるだけなんですよ。
動線に物があるとつまづく可能性が高まるなとか、筋力が落ちて足があんまり上がってないとつまづく可能性があるなって、じゃあここを対処してまず動線片付けて余計なものがない状態にしておこう。
そしてちょっとした段差で転んだりするといけないから、ちょっと体力つけたり筋力つけたりっていうことをやっておこうみたいなことをするのは、そういうことをやれば転びにくくなるわけですね。
それでも転んじゃうかもしれないけど、そのときはまたじゃあ何で転んだんだろうっていうことをやればいいわけで、そのときに何か物につまづいたっていうときに結構多くの人が陥ってしまうのが、危ないじゃない、誰がここにこんなの置いたのよみたいな感じになったりとかね。
三上:うん。
吉村:ここにこの物があったのが悪いんだみたいなね。そうするとその物がここにあったのが悪いとか、ここに物を置いたあの人が悪いっていうふうにしちゃうと抽象度がすごく下がってしまうわけですよね。
このことだけこれが悪いんだっていうことになっちゃって、もう少し高い抽象度でとらえたら動線がクリアになっていることと、ちゃんと足が上がるっていうことっていう対処ができるんだけど、
抽象度が下がってしまうと今ここのこれが悪いのであると。だからこれが悪いことを糾弾すると言うか非難して、それでとりあえずここに物を置いておいた人が「ごめんなさい。」って言って片付けてくれましたってなったら、本当に氣をつけてよみたいな感じで解決みたいになるわけですよ。
でもそうすると動線に物がないことが大事っていうことじゃなくて、今ここのこれを置いたこの人が悪いからこの人を謝らせることが大事みたいなね。この人が謝ったらしょうがないわみたいな感じで話を終わらせるみたいなところで、実際の解決になってないわけですよね。
三上:そうですね。また同じことがきたら同じですもんね。
吉村:そうですね。だから何が問題なのかっていうことを考えるときに、何が悪いかとか誰が悪いかって考えちゃうと抽象度が下がってしまうために、また似たような場面で同じような問題が起きたときの対処ができないし、
実際の本当の問題の本質が分かってないから、次にまた似たようなことが起きにくいように予防策を立てていくっていうことができなくなっちゃうんですね。
だからまずは良い悪いっていうのをジャッジの目で見るのを一旦止めて、どうしたらこれが解決するだろうとかどうしたらこのことがまた起きないようになるかっていうことを考えて、それを実行したほうがいいっていう話があるわけですね。
三上:確かに。やっぱりこういううまくいかなかったことは、やっぱり氣づきのチャンスですね。
吉村:そうですね。そうするとそこでちゃんと氣づいて実際に何が起きてたのかっていうのを少しちょっと抽象度を上げてみることができれば、その問題が起きたときに対処できるようになるっていうことも一つそういう成長もあるし、
あとそういう問題が起きにくいように前もってそれを予防しておくことができるっていうそういう成長もできるわけですよね。
三上:うん。
吉村:それがまず一つこの出来事から成長できるっていう側面があって、そしてさらに先に目を向けると、これは本当にちょっとその時になってみないとわからないことではあるけど、
例えば転んだからたまたま自分の視点が床に近いところにいきましたっていうことがあって、それでそのときに立ち上がろうと思ってパッと顔を前に向けたら、無くしたと思っていたアクセサリーがタンスの隅っこにあるのが目に入って、
「ここにあったんだ。」って言って見つけることができたってなったら、これって転んだっていう現象があったからそれが見つかったってことになるわけですよね。
これが本当の意味での転んでもただで起きないみたいな話になるわけですよ。一般的には転んでもただで起きないっていうのは、さっきお話ししたようなそのことから成長できますよねっていう話なんですけど、
三上:うん。
吉村:でも成長するっていうそこから成長できるよねっていう話の先には、本当にちょっとシンクロニシティとかね、普通の理屈で考えるとつながってないようなことなんだけど、それがあったために次の何かにつながってるっていうことに、
実はどっかで今回ちょっと失敗したんだけど後々になって振り返ってみたら、あの時失敗してたからこの時に助かったんだなみたいなことが出てくる可能性ってすごく実はあるんですよ。これはその場になってみないとわからないから。
三上:うん。
吉村:だからちょっと今それに向けて何かするとかっていうことはできないんですけど。でも実際僕は自分の人生振り返ってみると、例えば大学の学部の選び方とか選んだ授業とかであの授業って何の役にも立たなかったなって、時間無駄だったよなて思ってた授業がいくつかあったんですけど、
でも実際に何回か、例えば僕は大学卒業してから一応ちょっと短い間就職してそれからお芝居をやるようになって、お芝居も台本のあるお芝居からインプロといって即興でやるお芝居の方にいって、
そこから心理学の方にいってそれでエネルギーワークの方に来たっていう、色んなところを遠回りしながら僕の仕事にたどり着いたんですけど、
でもその間ずっと大学で受けた、しかも最後までやり通せなくて途中で辞めちゃった授業があるんですけど、でもその授業で習った内容っていうのは全く本当に何の役に立ってなかったなって思ってたんだけど、今の仕事をするようになったときにあのとき習ったあれってここで使えるんだっていうことが出てきたわけですよ。
三上:うん。
吉村:だからすごいその間って、結構普通に20年とか間が空いてあれってこういうことだったんだっていうふうになってるから、本当にそのときにうまくいかなかったなってことが後でどういう糧になるかって本当にわかんないんですよね。
三上:そうですね。
吉村:だからちょっと何かあれうまくいかなかったなって思ったとしても、後々になって何か役に立つこともあるかもしれないしみたいなぐらいに軽く考えておいて、とにかくじゃあ今ここから何をするのが最善だろうかっていうところに集中していったほうが、
新たな余計なブロックを作り出さないで済むし、多分自分の人生をどうより良いものにしていくかっていうところには効果が高いんじゃないかなと思いますね。
三上:そうですね。今のお話聞いて本当に考え方というか感じ方一つで違うなって、向かってる先が違うなって思いながら私も聞いてました。
吉村:そうですね。だから本当にそのときにこれ何の役に立つんだろうみたいな、学校の勉強なんかも本当に大人になってから何も役に立たないじゃんみたいなことが本当に多いじゃないですか、小中学校の勉強とか。
三上:確かに。
吉村:そういうのは全部ほぼほぼ忘れてるけど、でも小中学校のときの例えばクラスメイトとの関係性だったりとか先生との関係性で、僕は結構いじめられたりとか結構きつい目にあってたりもしたんですけど、
でもそれがあったからそういうことで苦しんでる人たちをどういうふうにしたらより良い状態にできるだろうかみたいなことを考えていった結果今の僕の仕事ができるようになってるから、ということはああいう辛かった出来事がなかったらこの仕事してないかもしれないですよね。
三上:そうですね。
吉村:そうすると僕がこういう天職に出会えたっていうのも幼少期に辛い思いをしてたからっていうことになるから、もし例えば過去を編集できるような技術が今後できたとして、
「じゃあ、あれ無かったことにしよう。」って言って無かったことにしちゃったら、今の僕は多分実際の今の僕よりも薄っぺらい人になってしまうんじゃないかっていう氣がしますよね。
三上:そうですね。何事にも意味はあるっていう感じですもんね。
吉村:そうですね。そこに肯定的な意味をつけられるかどうかっていうのは結局自分の意味付け次第なんで、そういう心持ちで色々と人生を見てみるとまた違って見えてくるんじゃないですかね。
三上:すごい、学びというか素敵な時間だった。心がほっこりしました。
吉村:よかったです。
三上:今日のテーマ「うまくいかなかったことに隠されたギフト」をテーマにお伝えしました。吉村さん、本日もありがとうございました。
吉村:ありがとうございました。